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震災10年 守れ いのちを 第3部 史上最大の派遣

(3)露呈 不備だった救助資機材
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 兵庫県伊丹市にある陸上自衛隊第三師団司令部に、伊丹警察署から救助要請が入った。地震の約五十分後だった。

 「阪急伊丹駅が崩れ、駅舎内の交番で警察官二人が下敷きになった」

 司令部は、阪神間や兵庫県三田市、大阪府の北半分を管轄する第三六普通科連隊に「速やかな対応」を指示。午前七時半ごろ、まず四十二人が出動した。

 兵庫県から災害派遣要請はまだなく、自衛隊法に基づく「近傍派遣」だった。駐屯地近くで災害が起きた際、“近所付き合い”として限定的に部隊を派遣する制度だ。午前八時二十分にも、西宮市内の生き埋め現場などに、五十四人が向かった。

 崩落した阪急伊丹駅舎に着いた野田尚貴二曹(36)は、車用ジャッキですき間をこじ開け、一人で潜り込んだ。「余震が来れば…」。がれきの中で死を意識しつつ、交番の奥へ進んだ。

 背中が見えた。声を掛けたが、一人は既に死亡していた。もう一人の警察官は、つぶれた二段ベッドの枠に足を挟まれ、動けなくなっていた。引っ張り出し、がれきの外へ脱出するまで、ほぼ二時間かかった。一カ月の重傷だった。

 これが、自衛隊による生存者救出「百六十五人」の一例目となった。

 救助活動が本格化する中、自衛隊員たちは、それぞれの現場で、ある共通のジレンマを抱えていた。

 発生二日目の夕刻、第三特科連隊(兵庫県姫路市)の西村知子三曹(34)は、兵庫県庁近くのビル倒壊現場にいた。壁の向こうから、閉じ込められた男性の「痛い、痛い」という声が聞こえた。

 「つるはしやバールでコンクリートをひたすらたたくしかなかった。精いっぱいやったけれど…」

 夜、消防のレスキュー隊が到着した。ドリルで壁に穴を開けた。午後九時ごろだった。男性を引き出したが、手遅れだった。

 自衛隊にあったのはショベル、つるはし、ハンマー、ロープ。消防の標準装備には油圧ジャッキ、エンジンカッター、チェーンソーが含まれていた。

 自衛隊法八三条は「災害派遣」を明確に規定している。しかし、大規模災害に対応する機材は、必要最低限の物さえ満足には配備されていなかった。

 阪急伊丹駅舎で警察官を救い出せたのも、あとから来た消防の油圧ジャッキのおかげだった。

 大震災の翌年、陸自は救助資機材をコンテナに収納した「人命救助システム」を考案した。手おのやバールから、エンジン式削岩機、破壊構造物探索機まで約五十種類。トイレ、医療セットもある。救助にあたる隊員の装備は二百人分が詰められており、生き埋めになるなどした人を最大三十人程度、同時に捜索・救助ができるとされる。

 兵庫、徳島、神奈川の各県庁も、同じ中身の装備をそろえた。

 「もっと救えたのでは、という悔悟の気持ちが今なお残っている」

 当時の黒川雄三・第三六普通科連隊長(59)は、四国に転属後、八十八カ所の霊場を巡った。必ず助けが来ると信じながら亡くなった人のことを脳裏に浮かべて。

2004/9/6

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