薄いケント紙をカッターナイフではぎ、絵を刻んでいく。伊藤さんは「彫画」という独特の技法と温かい作風で、多くの人に親しまれている。
明石の自宅で被災。当たり前と思っていた世界が一変した。大きな衝撃だった。「絵なんて何の役にも立たない。もう紙も鉛筆もいらん」
いたたまれなかった。誘われるまま出掛けた四国遍路で、次第に心に変化が起こった。「逃げるのではなく、自分なりに地震と向き合おう」
淡路の野島断層へ。多くの命を奪う原因となった大地の力への畏怖(いふ)。しかし作品にはトレードマークともいうべき女の子を登場させた。「生々しいものを残すより、私がクッションになれれば」
「捨て去ることで生まれる力もある。受け身ではなく、あの経験をばねに」と力を込める。
神戸に生まれて兵庫運河べりの下町で育った。日々の暮らしで人々と接し、自分なりの歴史を重ねる。疎開で田舎暮らしもあったが、昭和二十年の大空襲に遭う。子どものころの原体験をした風景をたぐりよせて神戸の街をよく描いた。突如襲った大震災。あれは別世界の異様な風景だ。それでも描いた。住んでいる街明石の対岸、淡路島の震源地の元凶活断層を歩いた。四国へんろ道を巡りながら紙を彫る。鎮魂を心の槌音にしながら。
メモ
いとう・たいち
1935年神戸市生まれ。彫画の技法を考案し、30代から風景などを描く。明石市在住。