一月十七日のことは、鮮明に覚えている。
幸いにも、撮影機材は無事。カメラを手に、ミニバイクで飛び出した。
旧居留地からフラワーロードを北上し、北野の異人館へ。午後は神戸駅から高架沿いに元町、三宮を歩き、港へ向かった。建物は倒れ、線路は落ち、街は苦悶(くもん)の形相を浮かべていた。
神戸の特色ある風景を撮り続けてきた。建物の特徴を思い出しながら、ひたすら、シャッターを切った。
「この悲劇的な運命を残しておきたい。一カ所でも多く」。驚くほど、心は冷静だった。
震災後、過去の写真を整理し、定点撮影を始めた。神戸の顔、三宮駅前はそのひとつ。絶好のポイントだった神戸新聞会館もなくなり、あちこちにできた空白を見ると、「自分の記憶までもぎ取られたような気がした」という。
この地に生きる人々の記憶を呼び戻すために、今も記録に取り組む。
三宮が神戸の中心になりはじめたのは、そごう百貨店が元町五丁目からいまの場所に移ってきた昭和五年ごろと聞く。翌年にいまのJR三ノ宮駅ができ、続いて阪神、阪急電鉄が乗り入れ、交通の中心地となった。昭和三十年代に神戸新聞会館、神戸国際会館、神戸市役所の三つのビルが同時に建設され、都心になった。大震災で、この三つの建物は姿を消したり、縮小されたりした。まちの変化をたどると、人生の記憶を呼び覚ましてくれる。
メモ
よねだ・ていぞう
1932年赤穂市生まれ。テレビなどのフィルムカメラマンを経て、「米田フォト」設立。「ロドニー賞」受賞。神戸市長田区在住。