震災の一週間後、西宮市内の瓦礫(がれき)の中に、キラリと光る物があった。ハート型をした、ピンクの目覚まし時計。「若い夫婦が結婚祝にもらったものか。彼らは無事だったろうか」。それは五時四十六分で止まっていた。
自宅は半壊。古い酒蔵を改造したスタジオは全壊したが、市役所に寝泊まりしつつ被災地を写して回った。「写真家の端くれとしての社会的責任」。西は神戸市灘区から東は西宮の夙川まで。歩ける範囲にこだわった。「マスコミの記録と違う。一個人の目で凝視してこそ見えるものがある」
ピアノ、犬小屋、ランドセル、仮設風呂…。人物はない。「もちろんそこに人がいて、生活がある。見る人に感じ取ってほしい」。九枚組の出品作タイトルは「街は蘇(よみがえ)ったか」。「モノは修復された。でも人の心は本当に立ち直っただろうか」
2004年10月23日。新潟中越地震の大ニュースは、阪神淡路大震災の記憶を、鋭く呼び起こすものであった。
あの日、自宅マンションの眼前に見たのは、見渡す限り倒壊した「阪神高速道路」の信じ難い惨状であった。写真だ、これは写さねばならぬ、とカメラを掴(つか)んで飛び出し、恐怖にふるえながらシャッターを切った。以来、生活者の視点から、死者の、傷ついた人の、家を失くした人の心情に思いを馳(は)せ、写真を撮りつづけた。これはいわば私的鎮魂の写真である。
メモ
はまおか・おさむ
1932年兵庫県津名郡一宮町生まれ。同志社大卒。写真展「京都断章」「失われた刻」などを開く。芦屋市在住。