両手を広げたキリスト像は、ペンキが色あせ、くすんで見える。右手の薬指は欠けたままだ。修復が後回しになっているのには理由がある。
神戸市長田区海運町のカトリックたかとり教会は外国籍の信徒が多い。像はベトナム人難民たちが故国から取り寄せた。それが十年前、全国的に有名になってしまう。
一九九五年一月十七日、阪神・淡路大震災の火事によりJR鷹取駅の南東では、住宅や商店の密集地約八ヘクタールが焼けた。約九十人が亡くなった。
教会も聖堂が炎上したが、キリスト像の背の後ろで火が止まり、司祭館は残った。あたかも像が奇跡を起こしたかのように。焦土に立つその姿と「奇跡」の物語が国内外で報道された。
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教会には神父の神田裕さん(46)はじめ信徒ら八人が住んでいた。地震の朝、神田さんたちは崩壊しなかった聖堂内を片付けた。午後に火の手が迫ると、消防隊のホースを運ぶなど延焼を防ごうとした。しかし結局、猛火を見守るしかなかった。
「悔いている」と、神田さんは唇をかむ。教会が焼けたことではない。生き埋めになった人が近所にいることに思いが至らず、救出活動をできなかった。
「普段から付き合いがあり、近所の人の顔を知っていれば、行動できたはず。二度と後悔しないよう、地域と交わろう」
復興のまちづくりに取り組むには、長期的なボランティアの活動拠点が必要と考えた。「教会の再建は後回し」と宣言。焼け跡に次々と建てたのは宿泊施設だった。被災家屋の材木を使って組み立てた。
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キリスト像の取材に、神田さんは「消火したのは人間」と繰り返し答えた。「神の奇跡」があるなら、もっと早く消してほしかった。それでも続く“神格化”に抵抗し、像に工事用ヘルメットをかぶせ、タオルを首に掛けたこともある。「キリストなら、きっとこんな格好で復興に取り組むはず」との思いも込めた。
一方で、報道によって教会を知り、ボランティアを志す人が全国から続々と訪れ、半年余りで四千人を超えた。後に神田さんは「実は、キリスト像は奇跡を起こした」と語るようになる。「手を広げ、おいで、おいでをしたら、人が来た」というジョークだけれども。
もうひとつ、たかとり教会を有名にしたのが紙の建築だ。太い紙の管を柱にした「ペーパードームたかとり」は仮設の聖堂や地域の集会所に利用されてきた。それを台湾大地震の被災地へ移すことになり、十六日、神田さんらが発表した。
後回しにされた教会の再建が、震災十年を機に始まる。キリスト像も建物の建設中に修復する。
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神田さんは「まちづくりは、ダチ(友達)づくり」が口癖になった。教会に置かれた救援基地に、宗教も国籍も越えて人々が集まった。ボランティアは一万人とも。キリスト像が見守ってきた鷹取の十年をたどる。(記事・宮沢之祐 写真・田中靖浩)
2005/4/17