ベトナム人に義援金や仮設住宅の情報が伝わらない。なんとかしようと、電波出力の小さい「FMユーメン」が一九九五年四月十六日、カトリック鷹取教会(現・たかとり教会)に開局した。局名はベトナム語で「友愛」を意味する。
プレハブ小屋に放送機材を運び込んだ。その屋根の上にゴリラ隊のボランティアたちが宿泊室を造った。南駒栄公園で支援活動をしていた日比野純一さん(42)と、ベトナム出身の神父ファム・ディン・ソンさん(41)が移り住み、毎朝二時間の番組を二人で受け持った。
番組の前半は日本語とベトナム語で震災関連の情報を伝えた。放送中に電話が鳴り、ベトナム語で仮設住宅の質問を受けたこともある。
後半は、ソンさんがベトナムの文化や歴史、それに、難民とは何かを日本人向けに説明した。
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ソンさんは番組で自らの生い立ちを語った。
信仰さえ迫害の理由になる祖国に自由はなかった、という。進学したくて十七歳で家族と別れ、密出国。七十三人が乗った木造船は外洋でエンジンが故障し、死を覚悟した。近くを通る船に何度も見捨てられた末、日本のタンカーに救出された。フィリピンの収容所を経て八二年、来日。必死で日本語を学び、働きながら定時制高校に通い、神学校に進んだ。
日比野さんはソンさんと起居を共にし、ベトナムについて理解を深めた。宿泊室は雨漏りし、梅雨どきは寝場所を求めて二人して教会内をうろうろした。「ソンちゃん」と呼ぶようになった。
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ユーメンは九五年七月、韓国・朝鮮語の「FMヨボセヨ」と合併し、八言語で放送するコミュニティ放送局「FMわぃわぃ」(77・8メガヘルツ)へと発展する。
日比野さんのサラエボ行きの航空券は結局、使えなくなった。神戸に残り、結婚し、わぃわぃの社長になった。十年前のソンさんの涙を思い出すことがある。車を運転中にラジオからベトナム語の歌が流れ、同乗していたソンさんが泣いた。
ソンさんは九六年春、神戸を離れた。神奈川県の教会を拠点に難民支援を続けている。神戸が「原点」という。十年前の涙を忘れていない。
「それまで、難民は人間じゃないと思ってた。国籍がなく、行きたい場所に行けない。自分の思いを表現したら『かわいそう』と哀れまれる。難民だからと、下に見られる体験をいっぱいした」
そんな異郷の空の下、母なる言葉の歌を聴き、心が震えた。涙が止まらなくなった、という。
2005/4/21