一日の終わり、たき火を囲んだ。語りたいことは尽きなかった。
神戸市長田区海運町のカトリック鷹取教会(現・たかとり教会)で、神父の神田裕さん(46)たちは、阪神・淡路大震災の翌日から火をおこした。
大火がすべてを焼き尽くしたが、たき火の炎は優しかった。夜警の住民が立ち寄り、やがてボランティアたちが輪に加わった。
当時、教会内に住んでいた信徒で、画家の和田耕一さん(63)は、全国から訪れたボランティアらの指揮を任された。地域にボランティアへの注文を募ると、家の解体手伝いの依頼が相次いだ。
男性陣が力仕事を担ったが、作業に不慣れな彼らに和田さんは「ゴリラになりきれ」と教えた。「屋根に上るとき、自分を人間やと思うな。立たずに四つんばいでやれ」というわけだ。和田さんは彼らを「ゴリラ隊」と命名した。
一方で、女性ボランティアたちはゴリラ隊の食事の用意や洗濯、それに救援物資の分配、炊き出しをした。こちらは「ウサギ隊」と呼ばれた。
何の技術も持たない若者が大半だったが、和田さんは「非日常」の世界での価値観を語り聞かせた。「六脚のテントは六人いないと、持ち上がらない。持ち上げるときは一番力の弱いやつに合わせる」「材木を二人で担ぐとき、学歴や経歴はご破算になる」
だから、和田さんはボランティアたちに被災地で過ごす期間のニックネームを与えた。東京から来たやんちゃな高校生二人は「竜」「虎」で、童顔の学生は「ベイビー」。難しい理由はない。あくまで第一印象。
最初から皆がなじんだわけではない。垂水区の児童養護施設に入所していた十六歳の職業学校生は、無期停学中だった。「教会で実習するよう、園長から強制的に指示された」という。来てすぐ、和田さんに「おまえはきょうからタローや。くぎ抜きしとけ」と言い渡された。「何、わけの分からんこと言うてるんや」。腹が立って、さぼっていたら、建設中の宿舎の屋根に強引に押し上げられた。
高い所が大の苦手だった。脚立を外され、逃げ出せなくなった。トタンの取り付け作業をさせられた。夕方、帰ろうとしても「まだまだ」と相手にされず、夕食の準備ができてやっと屋根から下ろしてくれた。
その夜、タローは教会で寝袋に潜り込んだ。施設に帰らなかった理由はこうだ。
「たき火の周りにいたら『寒いやろ』って、飲み物をくれた。それがお湯割りで、すげー、おいしかったから」
2005/4/18