来た方も、受け入れた方も、行儀がいいとは、ちょっと言いがたい。
「タロー」は、当時十六歳。一九九五年二月初旬、神戸市長田区のカトリック鷹取教会(現・たかとり教会)を訪ねた日から、そう呼ばれた。
廃材の裏でたばこを吸っていたら、どやされた。「火事になるやろ。吸うなら、堂々と吸え」
飲酒や喫煙はしかられなかった。後日、タローは気づいた。「酒もたばこもちっぽけなこと。もっと大事なもんがあるってことやったんか」
ゴリラ隊の一員として家の解体を初めて手伝った日、高齢の女性に「どうしても取り出したい思い出の写真がある」と懇願された。崩れかけの家に入り、写真を見つけると、大喜びしてくれた。
感謝されるのに慣れないタローにとって、それは不思議な体験だった。「生きててよかったと初めて思った。人に頼られたことなんてなかったし、いつ野垂れ死んでもええと思ってたのに」
◆
タローは、父親の顔だけ、わずかに記憶している。小学一年のときに大阪の児童養護施設に入れられ、「問題を起こして」神戸の施設に移ったという。その一年後、地震に遭った。
「親のおらん子は、かわいそうと見られるか、批判の目を向けられるか、どっちか。勝手にかわいそうと思われるのは、ごっつう腹が立つ」
彼の心情は、被災者がときに感じる悔しさと似ていたかもしれない。「かわいそう」と声をかけられ、うれしい人はいない。仮設住宅の訪問を始めると、タローはお年寄りたちの人気者になり、休むと、「なんで来ない」と泣かれた。
「けんかが強いとか、危ないことをできるとか、見え張って生きてきた。鷹取ではそうせんでも、自分の居場所があった。鷹取で、タローという新しい人間ができた」
ボランティアたちは、リーダーの和田耕一さん(63)に命名され、粘着テープの名札を胸にはってもらった。皆がその「ゴリラ・ネーム」で呼び合った。名前をもらって救援基地の住人になる。そんな雰囲気ができた。
◆
タローは信徒ではないし、「ペーパードームたかとり」を設置する際も「教会の施設を造るのは自分の仕事じゃない」と手伝わなかったぐらいだ。なのに、鷹取教会のミサを「すごくいい」という。ミサの最後に参加者全員が「主の平和」と唱え、笑顔で握手し合う。
「何の駆け引きもない。自分が心を開かないと、相手も開いてくれない。それが鷹取で学んだこと」。十年後の今、タローは水道工事の自営業をしている。
2005/4/19