カルテに名前の記入を促すと「あんた、書きなはれ」と突き返すおばあさんがいた。看護師のシスター是枝邦子さん(64)は、親しくなって後、彼女が字を書けないと知った。幼いころ朝鮮から来て、勉強の余裕がなかったという。苦労を重ね、一人になった身の上話に耳を傾けた。
是枝さんは震災直後、カトリックの医療ボランティアに志願し、神戸市長田区の鷹取教会(現・たかとり教会)にできた臨時診療所を手伝った。読み書きできない人と接したのは初めてだった。
被災地で、社会の断面が見えた。
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青木優尚(まさなお)さん(29)は震災時、鹿児島大水産学部の学生だった。身長一八三センチ、体重一〇〇キロ。でも、にかっと笑う童顔ゆえゴリラ隊での名前は「ベイビー」となった。
九五年春から半年、休学して鷹取で過ごした。実家は神戸市西区。父は休学に反対したが、息子が引かれる理由を知ろうとしたのか、救援基地になった鷹取教会に自らも通って包丁研ぎのボランティアをした。一週間して父が休学を認めた。「鷹取大学ボランティア学科に入学するつもりで学べ」と。
夏、仮設住宅への引っ越しの手伝いが増えた。車いすの身障者が入居したとき、段差のある入り口を見て、ベイビーはスロープと手すりを付けることにした。
作業を始めたら、市職員が「再利用するのに困る」「強度がない」と、止めに来た。丈夫に作ったし、段差はどう考えても不便だった。「それなら、手すりがある所に入居させて」。反論に職員は黙り込み、その間に急いで仕上げた。黙認してくれた、と感じた。
とはいえ、被災者に寄り添えば、「官」となじまないことも出てきた。
建築家坂(ばん)茂さん(47)が考案した紙のログハウスを、ボランティアが南駒栄公園などに建てたのは、軽量で撤去しやすいとはいえ、不法占拠だった。しかし、猛暑の夏のテント暮らしは過酷だった。ベトナム人らは住み慣れた長田を離れるのを嫌い、仮設住宅も落選し続けた。幼児もいる現状を放っておけなかった。
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ベイビーが是枝さんと訪ねた仮設住宅には、狭い部屋にベトナム人の親子と祖父母の計七人が住んでいた。発表会がある長女のため、是枝さんが徹夜で仕立てた服を届けた。新しい服をもらった子は大喜びした。でも、末っ子が「私のがない」と泣き出した。是枝さんが「明日、持って来てあげるから」となだめた。
貧しくとも懸命に生きる人がいて、それを支える人がいる。ベイビーはなぜか目頭が熱くなった。サングラスだったから、多分、誰にも涙は気づかれなかったけれど。
2005/4/22