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(4)テント村 対立の末の握手に夢託し
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ベトナム語でのミサ。震災時、鷹取教会のベトナム人信徒は約220人いた=神戸市長田区海運町3
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ベトナム語でのミサ。震災時、鷹取教会のベトナム人信徒は約220人いた=神戸市長田区海運町3

ベトナム語でのミサ。震災時、鷹取教会のベトナム人信徒は約220人いた=神戸市長田区海運町3

ベトナム語でのミサ。震災時、鷹取教会のベトナム人信徒は約220人いた=神戸市長田区海運町3

 ユーゴスラビア紛争を取材しようと、日比野純一さん(42)は一九九五年一月、勤めて七年目の新聞社を辞めた。理想の多民族国家がなぜ崩壊したのか、知りたかった。

 四日後に阪神・淡路大震災が起きた。東京の自宅のテレビにベトナム難民の母子が映った。言葉が通じない避難所で疲れきった様子だった。

 一週間、ボランティアをしようと、夜行バスに乗った。新聞記事で知った神戸市長田区の南駒栄公園に着いたのは二月三日。公園のテント村には日本人もいて、ベトナム人と鋭く対立していた。

 救援物資の分配に始まり、便所掃除やごみの出し方をめぐっていさかいが絶えず、殴り合いも起きた。ボランティアが仲裁したが、言葉の壁が厚かった。両者参加の自治会がやっとできて、支援する日比野さんは神戸滞在の延長を繰り返した。

 「サラエボに行かなくても、目の前で民族が対立していて、やることがたくさんあった」

    ◆

 ファム・ディン・ソンさん(41)はベトナム難民として八二年に来日し、苦学して神父になった。震災後の二月、ベトナム人信徒の安否確認のため静岡県の教会から神戸へと派遣される。旧知の神父、神田裕さん(46)がいる鷹取教会を目指した。

 神戸在住のベトナム人は震災時、約七百六十人。その大半が長田区周辺に住み、リサイクル業やケミカルシューズ関連の職に就いていた。二月、南駒栄公園にはベトナム人約百人がいた。

 「また大地震が来る」「米軍が来て、ベトナム人を米国に避難させる」

 ベトナム語の情報がなく、デマに動揺する同胞たちがいた。ソンさんは生活関連の情報を翻訳して被災者に伝えた。一方で、日本人のテントを進んで訪ね、語り合った。

    ◆

 日比野さんには忘れられない一夜がある。公園の自治会で、救援物資の盗難が問題になった。一方的に非難されたベトナム人のリーダーが自分たちの歴史を語り始めた。

 フランスの植民地になり、北と南に分かれ、ベトナム戦争が起きる。戦後、命を捨てる覚悟で小船に乗って国を出た-。

 つたない日本語で彼が話し終えたとき、日本人の役員たちが「すまなかった」と握手を求めた。「ベトナム人も日本人もいろいろいる。一対一で付き合わんとな」と。それまでは「ベトナム人」としか呼ばなかった日本人が「グエンさん」「トランさん」と、名前で声をかけるようになった。希望の芽を感じた。

 日比野さんとソンさんはベトナム語でのFM放送に携わり、いよいよ神戸を離れられなくなる。

2005/4/20
 

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