震度6強の激しい揺れで神戸・三宮の地下街は停電し、暗闇と化す。すぐに自家発電で非常灯がともるが、明るさは豆電球ほどしかない。1日15万人が行き交う商店街はショーケースが倒れ、ガラスが飛び散る。転んだ子どもに大人がのしかかり、泣き声が響く。誰かが叫ぶ。「津波が来るぞ」
「余震が終わるまで、身を低くして頭を守る姿勢を取ってください」
神戸地下街の小野肇主幹が約1万9千平方メートルの暗がりに冷静な声で非常放送を流す。まずは落ち着かせなければ。混み合う中、人々が一斉に動けば、深刻な二次被害を招きかねない。
神戸地下街は、商店主らを3班に分け、指揮系統を決めて地震の救助訓練を続けてきた。だが2012年10月、方針を変更した。
「津波からの避難を考えれば、そんな余裕はない。商店主ができる範囲で人々を誘導してほしい」
最寄りの階段から地上へ。津波到達は地震発生から1時間23分後だ。
12月は神戸ルミナリエが開かれ、休日なら1日最大50万人の観光客でにぎわう。会場は、内閣府が津波の浸水域に想定するぎりぎりのラインにある。1日5万人が訪れる南京町の観光客も避難を始め、数万人が一斉に山側や近くのビルに向かう。逃げ遅れた人々の後ろに、津波が迫る
午後6時。ルミナリエ会場に向かう人波が延びる。元町-三宮の街路を迂(う)回(かい)させるための列は最長2キロ。津波避難を想定した誘導計画はない。
事務局の松村耕一主任が説明する。「すぐに順路規制の柵を外し、警備員らに大丸神戸店の西側道路かフラワーロードに誘導させるだろう」
だが、フラワーロードには地下街からの避難者が流れ込み、大丸西側は南京町から押し寄せる。車道は渋滞。思うようには前進できない。
避難できるビルはあるのか。受け入れを検討してきた大丸神戸店は内閣府の新想定を受け、方針を変えた。店はシャッターを閉め、従業員は客と一緒に山側へ逃げる。「店内で何かあれば責任を持てない」との判断だ。
1時間半後、港の北400メートルにある南京町。4メートルの津波が防潮堤を越えるが、逃げ遅れた人には見えない。ビル群に視界を遮られ、路地から突然、黒い水がはい出てくる。水深30センチで歩けなくなり、膝上まで来れば体ごとさらわれる。海抜2メートルの一帯は1メートル以上浸水しかねない。
「まだまだ走れると思っていたら、車体が浮き上がった」。東日本大震災で、乗用車を運転中に流された宮城県石巻市の土井政敏さん(49)が振り返る。
避難者を受け入れるビルは管理者の覚悟が問われる。従業員を避難させるのか、誘導に従事させるのか。
群衆がエスカレーターや階段、通路へと押し寄せる。01年に起きた明石歩道橋事故で1平方メートルあたりの群衆密度は15人。進行方向にかかる推定圧力は約540キロに達した。
群衆事故に詳しい、セキュリティー・アドバイザーの貝辻正利さん(71)=大阪市=は指摘する。
「冬場はセーターなどで着膨れし、群衆密度は10人でも危険だ。どの時点で避難者の受け入れを断るか。収容能力の限界を定めておかないと、大事故につながる」
(安藤文暁)
2013/1/19