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保存されている野島断層。防災教育に欠かせない存在だ=淡路市小倉(撮影・後藤亮平)
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保存されている野島断層。防災教育に欠かせない存在だ=淡路市小倉(撮影・後藤亮平)

保存されている野島断層。防災教育に欠かせない存在だ=淡路市小倉(撮影・後藤亮平)

保存されている野島断層。防災教育に欠かせない存在だ=淡路市小倉(撮影・後藤亮平)

 岐阜県本巣(もとす)市の山あいに「地震断層観察館」がある。1891(明治24)年の濃尾地震を引き起こした根尾谷(ねおだに)断層の一部を保存、展示している。

 マグニチュード(M)8・0(推定)と内陸型では過去最大級の濃尾地震は、東海地方を中心に死者約7200人、全壊家屋約14万戸に達した。同館がある旧根尾村では、断層崖が約900メートルにわたり出現。保存断層を見ると、最大6メートルの上下のずれが一目瞭然だ。

 1992年、同村が地震から100年の節目の事業として開設。当初は年間約7万人が訪れた。しかし、近年は年間1万2千人ほどで、入館者がゼロの日もある。

 同館の語り部で元中学社会科教諭の宮脇俊治(としはる)(71)は「大半の家屋が全半壊したこの地域でも、地震が話題に上ることがない。防災や地域の歴史を学ぶ教材としてもっと活用すべきだ」と話す。

 教諭時代、授業で取り上げたり、地震体験者への聞き取りを進めたりしたが、村全体の取り組みにはならなかった。

 断層自体、長年にわたり放置されていた。74年に鉄道の敷設案が持ち上がり、日本地震学会などが保存を主張。これを機に、ようやく村が動き始めた、との経緯がある。

 管理する本巣市教育委員会・社会教育課主任の山田真靖(まさやす)(33)は「断層を守る責任はあるが、活用が難しい」と漏らす。地震から120年が過ぎた今、体験者はすでになく、断層の存在意義を感じている市民は少ない。

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 その観察館が開設された3年後、阪神・淡路大震災が発生した。

 震源地に近い兵庫県北淡町(現淡路市)は地震の翌月、地表に現れた野島断層の保存を決める。当時の小久保正雄町長(故人)の決断だった。兵庫県と同町が約40億円を投じ、「野島断層保存館」など一帯を「北淡震災記念公園」として整備。98年にオープンした。

 「見たくない」。当初は住民らの反発もあったが、その後、同公園での追悼行事に参加するようになった遺族もいる。

 「残してよかった、と今は思う。『本物』の重みは、震災を後世に伝える上で何物にも替え難い」と、保存館の課長池本啓二(42)は言う。

 ただ、入館者は減り続けている。開設直後の98年度は280万人を超えたが、昨年度は約16万人にまで落ち込んだ。

 貴重な遺構とはいえ、見ようによっては単なる地面の段差だ。防災学習で訪れた児童らが、笑い声を上げながら通り過ぎる光景も珍しくない。

 「断層だけで、地震の恐ろしさを伝えるのは難しい」と池本。語り部を小中学校に派遣するなど地道な取り組みが続く。四国、中国地方の自治体を訪れ、防災研修での活用も呼び掛ける。

 野島断層は、100年後の人々にも存在意義を示せるのか。それは、今を生きる私たちの努力にかかっている。=敬称略=

(黒川裕生)

2014/7/12
 

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