東日本大震災の津波火災で被災した宮城県石巻市の門脇(かどのわき)小学校の旧校舎。昨年6月、黒く焼け焦げた校舎が灰色のシートで覆われた。
近くの高校生がグラウンドを授業などで使う。「悲惨な体験を思い出させたくない」と高校が同市教育委員会に要望した。
震災直後、校舎内にいた児童らは高台に逃げて無事だったが、校区では多くの住民が亡くなった。周辺は、大半が更地。今後は区画整理事業が進み、再び住宅地になる。
校舎を残すのか、解体するのか。全市民対象のアンケートでは、回答者の半数以上が震災を伝える遺構の候補に門脇小の旧校舎を選んだ。しかし、区画整理地区の地権者対象の調査では半数以上が解体を望む。
賛否が割れる中、石巻市は昨年11月、震災伝承検討委員会を設け、保存の是非を議論している。
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被災した建物を残す。住民にとっては心理的負担にもなりかねない。
門脇小校区の南浜町で自宅を流され、石巻市内の仮設住宅で暮らす女性(50)は「仲の良かった友人夫婦も犠牲になった。思い出したくない」と校舎の解体を望む。
門脇地区の再生を目指し活動する「門脇町コミュニティ」代表の本間英一(65)も「見たくない住民もおり、多くの人に戻ってきてもらうには、跡地を有効利用したほうがいい」と話す。
保存を望む被災者もいる。震災当時、門脇小6年だった仙台育英高校1年の森田将弘(15)は「思い出が詰まった校舎。残してほしい」と願う。校舎内で被災し、ランドセルさえ持ち出せず、高台に逃げた。家も流され、手元に残った思い出の品は当時身につけていたバンダナだけだ。
石巻市では、児童と教職員84人が亡くなった大川小の旧校舎の今後も課題だ。遺族によって意見が異なり、学校の責任を問う裁判も続いている。
「いずれはきちんと議論すべきだが、現在はその前段階」と同市。遺族の心情を考えれば、結論は簡単ではない。
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東北大学学術資源研究公開センター(仙台市)は、東日本大震災の被災建物などを空間ごとデジタルデータで保存し、仮想空間で再現する。
これまで門脇小、大川小の旧校舎など約20カ所のデータを取った。専用のゴーグルを装着すると、宮城県気仙沼市で解体された大型漁船「第18共徳丸」の甲板上を歩き回る仮想体験もできる。
実物の保存に比べて費用も格段に安いが、公開には至っていない。同大教授の西弘嗣(65)は「学術目的のデータ収集。犠牲者が出た地域も多く、一般公開には遺族の理解が欠かせない」と語る。
阪神・淡路大震災当時にはなかった技術が、遺構保存の在り方に変化をもたらす。だが、新たな技術も被災者の心情を抜きには活用できない。時間をかけて議論する必要がある。=敬称略=
(高田康夫)
2014/7/14