69年前、原子爆弾が投下された広島。当時の姿をとどめる原爆ドーム(広島市中区)を前に、訪れた人々は自問する。
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、自分がそこにいればどうなっていたか-。
「前に立つだけで原爆を追体験できる。感性に訴える生きた証人だ」。平和教育に力を注いできた広島女学院大学(同市東区)理事長、黒瀬真一郎(73)は、ドームの存在意義の大きさを語る。
爆風と熱線で、その場にいた人々は即死した。ドームも全焼したが、奇跡的に倒壊は免れた。
戦後しばらく、保存の賛否は分かれていた。だが、地元の小中学生らが保存を求める署名活動を始め、平和団体や学識者からも声が上がった。広島市議会は被爆から21年後、永久保存を決議。その30年後の96年、世界遺産に登録された。
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広島県物産陳列館として建設され来年で100年、被爆から70年となる。維持費を支えてきたのは全国からの寄付だ。
66年以降の寄付総額は5億1300万円。過去3度の大規模補修工事は計約3億3千万円の費用のうち約2億円が、寄付を積み立てた基金で賄われた。
芸予(げいよ)地震などを想定した耐震対策として、広島市は本年度、約5千万円を予算計上したが、その財源も国の補助と基金が半分ずつだ。
だが、基金の残高は5290万円。地震対策の費用次第では底をつく。
ドーム以外の被爆建物も、維持費の問題で次々に姿を消している。
広島市内には今も、百貨店や大学の旧校舎などの被爆建物が残り、市は保存工事費について1回3千万円を上限に補助する。それでも、爆心地から半径5キロ以内で102件あった建物の登録は85件に減少した。
保存に取り組む「原爆遺跡保存運動懇談会」副座長の高橋信雄(75)は「被爆者が減る中、一棟でも多く残すべきだが、民間の所有者には負担が大きい」と漏らす。
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自然災害の被災地も、遺構の維持に課題を抱えている。
2004年の新潟県中越地震で被災した小千谷市と長岡市。当時2歳の男児が救出された土砂崩落現場や水没した家屋などが、3年前に「中越メモリアル回廊」として整備された。
ただ、整備や維持に復興基金を活用できるのは10年間。その後の財源は決まっていない。
阪神・淡路大震災では、崩れた岸壁を保存する神戸港震災メモリアルパーク(神戸市中央区)を、国費と民間の支援金5億2千万円で整備した。以後も毎年、神戸市が約240万円の維持費を負担する。照明などの塩害対策が欠かせない。
被災構造物の風化を防ぎ、残すには維持費がかさむ。誰が負担するのか。伝え続けるために、その課題にも目を向ける必要がある。=敬称略=
(高田康夫)
2014/7/13