畳の上の座椅子に腰を下ろし、木村明(80)=仮名=はテレビを見つめていた。一日の大半、ここから動かない。
テーブルの上には500ミリ缶の発泡酒。棚には自ら録画したドラマのDVDが約2千枚。台所の水は、出しっぱなしになっていた。
「楽しみは…。ビールと、テレビかな」
聞き取るのがやっとの声で、つぶやいた。
神戸市長田区の復興住宅「兵庫県営西尻池高層住宅」。10年ほど前、1人で越してきた。元は配管工。今日したことを尋ねると、「朝から現場に行ってきた」。時折、昔と今の記憶が交錯する。
阪神・淡路大震災当時についても聞いてみた。「石油コンビナートの近くに住んどった」「避難所に行った」。あとはあいまいになった。
129人が暮らす住宅で、木村が話をするのは1人だけ。9月末まで自治会副会長を務めた寺田孝(75)だ。ごみ出しの時に顔を合わせ、いつしか、あいさつを交わすようになった。
ほかの住民の顔や名前は分からない。「ずっと話したことない。めんどくさい」。でも、寺田には「世話になっとる」と頭を下げる。
木村にとって寺田の存在は、唯一、外とつながる“窓”だった。
◆
副会長を辞める2カ月前。寺田は住民有志を率いて県庁に出向き、支援を求めた。応対したのは県住宅管理課の主幹だった。
寺田 動脈硬化で足が限界で、自治会を続けられない。高齢者ばかりで、役員を継続する人も見当たらない
主幹 どうして誰もできないのか理解できない。嫌がっている人も歩けるでしょう。やりたくないからしないというのは、モラルの問題だ
寺田 ずっと募集しているが、誰も手を上げてくれない
主幹 自分たちでできないなら、業者に頼むこともできる
寺田 共益費の値上げにつながる
主幹 そこは負担してもらうしか
議論は平行線をたどった。
あきらめた寺田は断腸の思いで、各戸に「お知らせ」を入れた。
今後は役員の活動を大幅に縮小します。各自で住宅の保全・管理をお願い致します
県公社の電話番号も記した。だが、その後も寺田の電話はなりやまない。高齢化率88%の住宅では、自分で問題を解決できる人はほとんどいない。
住民にとって“窓”のような存在の寺田。その窓が閉ざされようとしていた。
=敬称略=
(上田勇紀)
2014/11/6