11階建ての鉄筋コンクリートがそびえる。復興住宅が立ち並ぶHAT神戸(神戸市中央区)の風景に似ていた。
仙台市若林区の荒井東復興公営住宅。今年4月に入居が始まり、東日本大震災で家を失った168世帯354人が暮らす。
大橋公雄(71)もその一人。震災前は海沿いの一軒家に住んでいた。真夏でも窓を開け放てば、浜風で快適に過ごせた。
「最近になって、エアコンの使い方、覚えたんだよ」
そう笑うと、10階から5キロ先、かすかに見える海を望んだ。
隣の物音が聞こえた仮設住宅とも違う。ここでは、扉を閉めると何も聞こえない。
「みんな、仮設を出られて喜んでるよ。ようやく入れて、よかったねえって。でも、息苦しさも感じるんだ」
阪神・淡路大震災被災地で聞かれたのと同じような言葉がこぼれた。
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9月末の日曜日。宮城県東松島市の市営小松南住宅で、団地開きの芋煮会が開かれた。
自治会長の菅原司(61)が中心となり、社会福祉協議会と連携して準備を進めた。156世帯303人の住民のうち、参加したのは60人程度。「200人を予想したので少なかったけど、ようやくスタートが切れた」。菅原は自分に言い聞かせるようにうなずいた。
入居者は4月以降、市内各地から抽選などで集まった。高齢世帯は全体の4分の1を占める。
市から頼まれて会長を引き受けたが、役員を決めようにも手を挙げる人がいない。会計や集会所管理人は菅原が兼務した。
住民からの相談は菅原の携帯電話に直接かかってくる。阪神・淡路の被災者らが暮らす兵庫県営西尻池高層住宅(神戸市長田区)で目の当たりにしたような状況が、既に始まっていた。
「神戸の二の舞いは避けたいが、どうすれば」
東松島市社会福祉協議会常務理事の阿部英一(64)は、7月に神戸を視察し、考え込んだ。HAT神戸にある復興住宅の住民から「仮設のつながりが断ち切られ、隣の人さえ分からなくなった」と聞かされたからだ。
さっそく高齢世帯の訪問活動を始めたが、地縁のない住民同士を結びつけ、相互の見守りにつなげるまでには、まだ遠い。
20年後、この住宅はどうなっていると思いますか-。そう問いかけると、菅原からこんな答えが返ってきた。
「半年でもう、10年会長をやった気分。そんな先のことなんて、とても考えられない」
=敬称略=
(上田勇紀)
2014/11/13