仙台市から南へ車で1時間足らず。福島県境の海沿いに位置する宮城県山元町には、県内で最も早く建った復興住宅がある。
大小まちまちの平屋か2階建てが91戸。神戸のような高層住宅は見当たらない。
1棟に2世帯入る住宅がある。さらには、単身用の2DK、2人向けの2LDK、3人以上の3LDKを混在させた。
昨年4月に入居が始まり、77世帯が暮らす。自宅が津波につかった高橋良子(86)は、仮設住宅から1人で移り住んだ。「隣の人が『なんか用事があったら車で送るから』と言ってくれる。身内みたいで心強い」と笑顔を見せる。
1棟2世帯は一つ屋根の下、隣の異変に気付きやすい。高齢者ばかりを集めず、異なる世代が自然に近所付き合いできるような住宅を目指した。阪神・淡路大震災を教訓にしたという。
一方、新たな問題も浮かぶ。現在14戸ある空き家はすべて、家族向けの3LDK。町では保育所が被災し、JR常磐線の不通が続くなど影響が長引いている。東日本大震災前と比べ、人口は4千人減の1万2900人に落ち込んだ。
「子育て環境を求め、町外へ移り住む人が増えた。計画通りには進んでいない」。町担当者は漏らした。
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今年10月23日、発生から10年となった新潟県中越地震。長岡市山古志(旧山古志村)では2006年以降、9集落に35戸の復興住宅が建てられた。一戸建て、木を生かしたデザインが美しい別荘のような外観だ。
集落の大半が水没した木篭(こごも)。かつて自宅があった場所を見下ろせる高台に、浅染五郎清(ごろうきよ)(86)の姿があった。
避難所、仮設住宅を経て、妻トシ(85)と復興住宅に入って7年がたつ。
「古里に戻れてよかった」。トシは糖尿病が悪化して入院中で、自身も肺がんと闘う日々だが、穏やかな表情を見せた。
山古志の高齢化率は地震後に10ポイントも上がり、47・5%。人口は半減し、1100人余りになった。浅染の隣は、入居者が亡くなった3年前から空いたまま。全体では7戸の空きがある。
元長岡市山古志支所長の斉藤隆(63)は「集落ごとに分散して住宅を建てれば、将来、空き家が増えるという予測はあった」と振り返る。
「でもね」。斉藤が口調を強めた。
「効率だけじゃ暮らせない。地震で家は失ったけど、古里に戻って知り合いに囲まれ、『幸せだった』と思って死んでいける。目指したのは、そんな復興住宅です」=敬称略=
(上田勇紀)
2014/11/15