淡路

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千葉県の高校生を前に、体験を語る向井規子さん=5日、北淡震災記念公園
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千葉県の高校生を前に、体験を語る向井規子さん=5日、北淡震災記念公園
向井さんが撮影した被災3日後の自宅周辺=旧北淡町富島(提供)
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向井さんが撮影した被災3日後の自宅周辺=旧北淡町富島(提供)
東京の大学生に語りかける黒谷静佳さん=6日、北淡震災記念公園
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東京の大学生に語りかける黒谷静佳さん=6日、北淡震災記念公園

 阪神・淡路大震災は17日で発生から27年を迎える。兵庫県の淡路島内では8783棟が全半壊し、淡路市で58人、洲本市で4人が犠牲になった。野島断層を保存する北淡震災記念公園(淡路市小倉)の「震災の語りべ」らが、新型コロナウイルス禍の制約の中、いまも懸命にあの日の記憶を伝える。(上田勇紀)

     ◇

■父の遺志継ぐ語り部 向井さん

 今月5日、同公園セミナーハウス。淡路市の学習塾経営向井規子さんが、修学旅行で訪れた千葉県立京葉高校の2年生約110人を前に語り始めた。被災したのは、塾を開いて15年がたったころだった。

 「家の2階で寝ていたんですね。そろそろ起きる時間かなと思ったとき、背中にドーンという衝撃が来て。落ちてる気配、揺れてる気配。ジェットコースターみたいに」

 モニターに当時の富島の航空写真を映す。規子さんの木造2階建ての自宅とまわりの家々が、ぐしゃりとつぶれていた。別の部屋で寝ていた両親は無事だったが、規子さんは生き埋めになった。

 「『助けて』と声を出した。『あんたも埋まっとんのか。ごめんな、うち、お父さん埋まっとんねん』。幼なじみの声がしました。埋まってるのは、私だけじゃないと思いました。もし火が出たら。本当に、これで終わりかと思った」

 朝日が差したころ、ノコギリで屋根に穴を開けた父正規さんに助け出された。雪が降っていた。まわりを見渡すと、つぶれた家ばかり。現実とは思えなかった。富島地区では建物の8割が全半壊し、26人が犠牲になった。

 「親類宅に避難した。翌日からこう思いました。『なんで生き残ったんかな』。家はない。通帳も家の中。現金もない。町は再建に15年。家の再建には8年4カ月かかった。長い道のりでした」

 規子さんは、震災から10年が過ぎて父から語り部のバトンを受けた「2代目」。元小学校長の正規さんは、1999年に発足した語りべの初期メンバー。意欲的に活動していたが高齢で体調を崩し、「お前、やるか」と声を掛けられた。

 「記憶がよみがえって、フラッシュバックする」と語るのに抵抗があった規子さんの背中を、正規さんが押した。「お前は、震災を知らない人と、家族を亡くした人の中間にいる。だから語ることができるんや」

 正規さんは2010年に86歳で亡くなり、その遺志を継ぐ。コロナの緊急事態宣言下で講演の機会が激減し、「語らないと、どんどん風化する」と危機感を強める。生徒らに向けて続けた。「日本は地震大国。南海トラフの地震も来る。命を守るためにどうするか」

■99年から語り部に 黒谷さん

 今月6日、淡路市出身の環境カウンセラー黒谷静佳さん(73)は、大妻女子大学(東京)の3、4年生約15人を前に語った。

 震災で神戸市垂水区の自宅が半壊し、長田区の市場で営んでいた喫茶店は全壊した。仲間と炊き出しをしたり、区役所に駆け込んでボランティアをしたり。助け合いながら、無我夢中で生きた日々を伝えた。

 「震災では、家族や近所の人に助け出された人が多くいました。行政の助けを待っていたら、命がなくなるよ。家族で防災のことを考える時間を持って、防災マップを見てほしい。非常持ち出し袋に水や食べ物、大事なものを入れておいて。防災は準備です」

 1999年から語り部を続ける黒谷さんは「2011年の東日本大震災後に聞き手の関心が高まったと感じる。命を守る意識を伝え続けたい」という。聞き終えた4年の岡安夏希さん(22)は、「住んでいる東京のマンションは、隣に誰がいるか分からない。黒谷さんの言葉で自分事に感じた」と話した。

【特集ページ】阪神・淡路大震災

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