阪神・淡路大震災から17日で27年。それぞれが一日、一年をかみしめる。
兵庫県淡路市志筑の元電気店主中之内肇さん(75)は1月17日が近づくと、阪神・淡路大震災直後に吐きながら走り回った1カ月間を思い出す。多くの家屋が倒壊した町で殺到する注文に応じ、腎臓の病が悪化した。
志筑の中心街は壊滅状態だった。父から継いだ電気店「美聲堂(びせいどう)」は、「取り壊す前にエアコンを外して」「仮設住宅の設備工事を」などと、頼りにされた。半壊した店舗兼自宅の片付けもそこそこに奔走した。
体調が急激に悪化した。尿毒症が進行していた。医師から「すぐに透析が必要だ」と告げられた。仕事一筋でバブル崩壊、家電不況の荒波を乗り越えただけに反動は大きく、「お先真っ暗」と途方に暮れた。働き盛りの48歳で店を娘夫婦に譲った。
子どもの頃から好きだった絵を描くことで苦痛を忘れようとした。しかし、「一時的なもの。どん底の日々は変わらなかった」
妻の敬子さん(73)に救われた。2004年に片方の腎臓をもらった。当時、県内で3例しかなかった夫婦間生体腎移植だった。
その後、地元の洋画愛好家グループや県立淡路文化会館の洋画セミナーなどで創作を続け、公募展で高い評価を得た。今、「芸術は無限。仲間と絵の話をするのが楽しい」と話す。
震災はつらい記憶の一方で、「地震がなければ自覚症状がないままもっと悪化していた。今頃は生きていない」とも考える。妻、家族、地域への感謝の日々を生きる。(内田世紀)
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