羽柴(豊臣)秀吉が家臣で龍野藩脇坂家初代の安治(やすはる)に宛てた朱印入りの書状33通が、同家ゆかりの文書の中から見つかり、たつの市立龍野歴史文化資料館(兵庫県)と東京大史料編纂所が21日、発表した。天下統一に向けた軍勢の詳細な動きなど密なやり取りが読み取れるほか、京の御所の普請に必要な材木を早く調達するよう叱責する記述もあり、秀吉の性格を伝える貴重な史料という。
安治を祭る龍野神社(たつの市)が所蔵していた「龍野神社旧蔵文書」から見つかった。この文書からは以前にも、秀吉が太閤(たいこう)検地前に、田畑の面積や石高を大名に自己申告させた「指出(さしだし)」が初めて発見されている。
今回の書状は、小牧・長久手の戦い(愛知県)で秀吉と徳川家康らが争った1584(天正12)年以降、朝鮮出兵までの約10年間に集中。村井祐樹・東大史料編纂所助教は「天下統一への初期段階に、同一人物に宛てた書状がまとまって出てきたのは前例がない」と話す。
書状によると1585年ごろ、伊賀国(三重県)に入った安治に早期の統治と、淀川(大阪、京都府など)の橋や御所の普請に使う材木の調達を立て続けに指示。北国攻めへの参戦を望む安治に「調達の担当をさぼるな」と叱り、「(統治が遅れるなら)別の武将を送り込む」と脅す。
村井助教は「天下人でありながら、しつこいくらい細かい性格であることが読み取れる。腹心だった安治との親密さをうかがわせる点も興味深い」と話す。
文書は約50年前に一時流出。たつの市が2年前に購入し、同史料編纂所が修復した。2月26日に同資料館で始まる特別展で公開される。(松本茂祥)