トップ

阪急夙川駅は「香櫨園」だった 駅前の池、110年前は人気アトラクション

2020/05/06 23:20

 高級住宅街のブランドとして名高い兵庫県西宮市の「夙川エリア」。その中心に位置するのは、阪急電鉄の夙川駅だ。しかしそもそも、ここは「香櫨園」だった-。

 「?」。香櫨園といえば、阪急夙川駅から1キロほど南にある阪神電鉄香櫨園駅。さらに南に1キロほどで、御前浜の海岸に出る。

 現在の香櫨園地区は、主に香櫨園駅周辺の南側、海岸沿いエリアを指す。その北側にある今の夙川地区が香櫨園と呼ばれた背景には、明治末期、この地にできた遊園地の存在があった。

 「ほら見て、赤ちゃん鳥がいる」。男の子が水鳥の親子を見つめて歓声を上げた。西宮市羽衣町の「片鉾池」。阪急夙川駅から南に歩いて数分。自然を感じられる貴重なオアシスだ。時折、魚がはねる音が響く。

 この池、110年ほど前は今で言う人気アトラクションだった。池の北西には約50メートルもの高さの台から滑り降りる「ウオーターシュート」。巨大な水しぶきが上がり、ボートや水上自転車も行き交った。「一大歓楽郷」。地元の「大社村誌」はこう表現している。

 「香櫨園遊園地」。大阪の砂糖商・香野蔵治と櫨山喜一らが、海を望めて山も近い景勝地に着目し、1907(明治40)年に開いた。香櫨園の呼び名は、2人の名字から命名された。

 規模は8万坪、甲子園球場約7個分。現在のJR神戸線の北側に広がり、当時はまだなかった阪急神戸線の北数百メートルまで、東西は夙川の西に1キロほど。

 広大な敷地には、博物館や茶屋、料亭…。野外音楽堂の奏楽堂もあった。メリーゴーランドもにぎわった。四季折々の花が咲き、夏には蛍狩り。温泉があって稲荷山も散策できた。当時の絵図には池の北に「空中飛行」との記載も。西宮市情報公開課の学芸員は、小高い丘をリフトで結び、景観を楽しんだと推測する。「和歌山まで眺められたようです」

 遊園地ができるきっかけとなったのが、05(明治38)年の阪神電鉄による大阪-神戸間の営業開始だった。開通2年後、遊園地開設に合わせて香櫨園駅が設置された。沿線開発の一環として、阪神も遊園地経営に参画し、動物園などを直営した。

 ただ、遊園地の盛況は一時だった。開設から6年、13(大正2)年に閉園する。同じ頃、阪神は海岸に「香櫨園海水浴場」を開き、遊園地にあった博物館や奏楽堂などを浜辺に移した。

 遊園地の跡地は、英国の貿易会社などを経て、17(大正6)年に関西の不動産会社が取得。宅地開発に乗り出す。阪急電鉄の前身「阪神急行電鉄」が、遊園地跡地の北東部に夙川駅を設けたのは、20(大正9)年の神戸線開通時だった。

 夙川エリアはモダンな建築が立ち並び、昭和初期には文豪谷崎潤一郎や画家の東郷青児も滞在。文化薫る人気の高級住宅地に育っていった。遊園地の中核施設「恵美須ホテル」があった辺りには、カトリック夙川教会(霞町)がたたずむ。

 大社村は23(大正12)年、一帯を「香櫨園区」と名付けたが、阪急の駅名に合わせて32(昭和7)年に「夙川区」と改称。香櫨園の名は、阪神の駅周辺を指すイメージに変わった。

 片鉾池も様変わりした。水面の上には64(昭和39)年、夙川公民館がオープン。西宮で暮らしたパナソニックの創業者松下幸之助氏が寄贈した。郷土史に詳しい阪下匡史さん(79)=西宮市=は、池のほとりが通学路だった。「ずっと散歩道。やっぱり落ち着くねえ」(小林伸哉)

続きを見る

あわせて読みたい

特集