東北電力会長時代の白洲次郎(旧白洲邸武相荘提供)
東北電力会長時代の白洲次郎(旧白洲邸武相荘提供)

 三田藩に仕えた儒学者の家系に生まれ、終戦後に吉田茂元首相の側近として名をはせた白洲次郎(1902~85年)の没後40年を記念したイベントが、27日から三田市で始まる。遺品や愛車だった「ベントレー」を展示するほか、長女の牧山桂子さん夫妻らが登壇するトークショーを企画。主催する市観光協会は「出身ではないが、三田ゆかりの人物として関心を持ってもらいたい」と期待する。(山本 晃)

 白洲は芦屋市出身とされ、旧制神戸一中(県立神戸高校)を卒業後、英国のケンブリッジ大に進んだ。戦後は吉田茂に重用され、日本国憲法の成立などで連合国軍総司令部(GHQ)との交渉に当たった。

 英国で身に付けた語学力で、主張すべきところは主張し「従順ならざる唯一の日本人」と恐れられたと伝わる。貿易庁長官や、東北電力の会長なども務め、戦後日本の復興に尽力した。

 その白洲家は代々、旧三田藩主九鬼家に仕えてきた。1691(元禄4)年、白洲文蔵が当時の三田藩主九鬼副隆に、儒者役として招かれたのをきっかけに三田へ来たとされる。