北播

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76年間大切に保管されてきた田中俊治さんの遺品=加東市下滝野
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76年間大切に保管されてきた田中俊治さんの遺品=加東市下滝野
俊治さんの履歴表。乗艦した軍艦などが細かに記されている=加東市下滝野
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俊治さんの履歴表。乗艦した軍艦などが細かに記されている=加東市下滝野
セーラー服の田中俊治さん(遺族提供)
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セーラー服の田中俊治さん(遺族提供)

 兵庫県加東市の田中美恵子さん(84)宅に、日中戦争から太平洋戦争期の軍服や書類、写真が大量に保管されている。30年以上前に81歳で死去した田中俊治さんが残した遺品。日本海軍の兵士が着用する紺色の制服や機関銃を構える俊治さんの写真、所属した部隊の行動を記した文書…。貴重な100点以上の資料が戦地の記憶を伝える。(杉山雅崇)

 保管されていた俊治さんの履歴表によると、俊治さんは1927(昭和2)年に徴兵され、海軍の兵士となった。中国戦線や軍港がある横須賀(神奈川県)などに勤務しながら、武装した商船の乗組員として危険な任務に就いた後、下滝野に復員した。

 長女の美恵子さんによると、俊治さんはまめな性格で、当時着用していた軍服などを木箱に入れて保管していた。

 紺色の厚手生地でつくられた海軍の軍服は状態がよく、虫食いもない。白黒の写真には、ヘルメットをかぶった俊治さんが機関銃を構える姿や、「昭和5年 南洋コロール島で撮影」と記された現地住民との記念撮影もある。

 生前の俊治さんは、酒を飲むと戦時中の体験を周囲に語っていたという。家族は「またその話か」と思ったと言うが「乗っていた輸送船が撃沈されて、重油が浮く海に飛び込んで助かった」などと、生々しい体験も漏らしていた。

 幼少期に1945年7月の下滝野空襲を体験し、間一髪で難を逃れた美恵子さんは「これだけ残った軍服や文書を見ると、苦しい経験をしたのに、よく生き残ってくれたと思う」と、俊治さんが戦地で持ち歩いていた一家の集合写真を見つめた。

知られざる空襲・第2部(6)2人の命 昭和20年7月24日【加東・下滝野】
知られざる空襲・第2部(5)三田の悲劇 昭和20年7月24日【加東・下滝野】
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