ドキュメン撮る

2011年3月、東日本大震災の直後。東京電力福島第1原発事故のため、福島県二本松市を離れた一家があった。塚田広さん(49)と妻、そして3人の子どもたち。自主避難で身を寄せた兵庫県での暮らしは今年、丸10年を迎えた。
大きく成長した3人の子どもたち。震災直前に生まれた次女(11)に二本松の記憶はない。一方、長男晴(はる)さん(19)と長女澄(すみ)さん(16)の胸には、それぞれに故郷への思いがある。
昨春、晴さんは大きな一歩を踏み出した。農業高校の卒業と同時に二本松市の農業生産法人に就職。家族と離れ、単身帰郷した。
原点は、二本松で両親と体験した有機農業だ。指導してくれた農家大内信一さん(80)への憧れは今も変わらない。避難後も一家は大内さんらと交流。放射能汚染の風評に苦しむ姿を見て、晴さんは「僕は福島の側に立ちたい」との思いを強くしていった。
兵庫県たつの市で家族と暮らす明石高専1年の澄さんは「福島は好きだけど、故郷と呼ぶ自信はない」と複雑な思いで兄を見送った。「多くの人と出会えた大切な場所」という兵庫の地でエンジニアを目指している。
晴さんは今年、畑の上に太陽光パネルの棚を設け、農業と発電を並行して行うソーラーシェアリング事業に取り組む。「二本松を特別に感じるのは人のつながりがあったからこそ。原発事故で大切さに気付いたエネルギー問題に挑みたい」
それぞれの道を歩み始めたふたり。雄大な安達太良山(あだたらやま)の麓で、兄の夢が一足先に動き始めた。(大山伸一郎、小林良多)
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「ドキュメン撮る」は今回で終わります。4月から第4木曜日は新連載「インサイド」を始めます。
2021/3/25