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(8-1)復興住宅が生むきずな ニュータウンから兆しが見える
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 この町の「いま」を象徴する光景に出会った。

 幼児を乗せたベビーカーを押す若夫婦と、手押し車のお年寄りが行き違う。車いすの人もいる。ニュータウンといえば、若い家族ばかりを連想しがちだが、ここは少し勝手が違う。

 神戸・西神南ニュータウン。計画人口二万四千人。現在約一万九千人が住む。震災による直接的被害こそなかったが、世代構成は震災後、大きく変わった。

 地下鉄西神南駅西に広がる井吹台西町。当初、公営住宅の建設計画はなかったが、九七年夏以降、市営、公団合わせて約千四百戸の復興住宅ができた。

 独り暮らしの高齢者、障害者が多い。高齢者の割合は市営井吹台西住宅で五八%、同西神南住宅で三〇%台に達している。

 高齢者を地域で支えようと昨年三月、復興住宅の自治会や地元ボランティアらが「井吹台・地域見守り活動連絡会」をつくった。その一つに「ボランティアいぶき」がある。メンバーは、駅を隔てて反対側の井吹台東町の主婦らが多い。

 代表の坂本津留代さん(48)は、九三年五月の街びらきと同時に、垂水区から移ってきた。東町自治会連合会の会長も務める。

 震災後、近くに大規模な仮設住宅ができた。「同じ町の一員。地域の手で見守ろう」と友愛訪問を続けた。そして、舞台は復興住宅へ移った。

 「いぶき」は、地域型デイサービスや友愛訪問、週二日の給食サービスを手がける。喫茶も始めた。障害者ケアにも力を入れる。いずれも将来は、自治会へ移行するつもりだ。

 「地域住民の手で福祉を担い、だれもが安心して暮らせる仕組みを」

 実は今、東町には高齢者は十人もいない。だが坂本さんの目には、西町の現状は、わが町の十年、二十年後の姿に見える。

 「人のつながりなしにまちは維持できない。被災地とは比べようもないが、実は私たちの町も震災の影響を強く受けたと感じる」

    ◆

 臨海部の工場跡地にできた「HAT神戸」。大量の復興住宅が建った。

 「灘の浜」団地は昨年四月に入居が始まった。住民は各地の仮設住宅から移ってきた。十三棟の住民約二千人のうち、高齢者が三五%。一方で十五歳未満の子どもはわずか九%だ。

 高齢者への支援は手厚くなる。同じHATの「脇の浜」団地(約千五百世帯)でもボランティアが、仲間づくりを支える。

 しかし、子ども対象の集まりや催しは少ない。親たちは九月、「灘の浜」に子供会をつくった。全国的に子供会活動が薄れていく中で、親子約百人が参加する。「新しい街だからこそ必要なんです」と、会長の香川孝治さん(38)が話した。

 「子どもたちのために、となると、みんな真剣に考える。その気持ちをうまく生かし、各世代をつなぐ。子供会がまち全体の交流の輪の中心になれば」

 二十三日、団地内の広場で「秋の復興祭」が開かれ、子供会はフリーマーケットを出した。お年寄りとにこやかに交流する子供たちを見て、香川さんはうれしそうな表情を浮かべた。

 「子供たちがこの街をふるさとと思えるように、街を育てていきたい。それが私たちの務めです」

    ◆

 人のつながりが、まちを創る。私たちは震災でその大切さを再認識した。それをいま一番感じているのが復興住宅の人たちだろう。続く模索に、新たなまちづくりの兆しが見える。

1999/10/25
 

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