被災地のシンボルが、まもなく姿を消す。JR新長田駅南にあるテント張りの仮設商店街「復興げんき村パラール」。十一月九日の閉店を前に連日、謝恩セールが続く。
「パラール」は一部を除き、国道2号沿いに近く完成する再開発ビルに移る。約百店舗あるうち数店舗が、移転を機に店をたたむ。
この地で七十年余り陶器店を営んできた男性(70)もその一人だ。「再開発は時間がかかり過ぎる。もう年だし、跡継ぎもおらん」
引っ越し先の再開発ビルも、実は仮住まい。本格復興は、跡地に建設される新たなビルが完成する、さらに数年先となる。
震災で壊滅的な被害を受けた同地区。面積二〇・一ヘクタールという全国最大級の再開発事業が進む。九五年三月に都市計画決定され、二〇〇三年度末までに三、四十階建ての高層ビルを含む三十棟を建設、三千戸の住宅と大規模商業空間が出現する。総事業費は、計画段階で二千七百十億円に上る。
その巨大さに、当初から地元住民や専門家から危ぶむ声はあった。だが、まちの再生へ、空洞化が進むインナーシティー問題の解決へと、地元の熱い要望にこたえた側面もあった。
現在、完成済みは二棟、工事中が五棟。今なお事業計画が決まらない所もある。
この現状を、施行者の神戸市はどう見ているのか。笹山幸俊市長に聞いた。
「市民が望むまちの形は多様化している。マンハッタン的な再開発だけではない、地域に応じた建物群の整備が必要だ。見直しについては、地元と十分協議しながら柔軟に対応したい」
事業開始から四年七カ月。市長の口から初めて出た「見直し」の言葉だった。
市は今後、地元との協議に入るが、権利者向け住宅や店舗の建設を先行、それ以外のビルは段階的に施工▽超高層を中層程度に縮小▽学生や高齢者向け賃貸など多様な住宅需要に対応▽権利者以外に分譲する保留床処分へ民間活力の導入・などを挙げた。
再開発事業とは、土地の高度利用、容積率のフル活用で保留床を生み出し、売却収入で事業費を賄うことをいう。経済成長と地価上昇を大前提にしている。低迷する経済環境を受け、その仕組み自体が震災前から限界にきたと指摘されていたが、震災特例による補助率アップなどで、被災地復興に導入された。
事業を認可した建設省の再開発防災課担当官は「民間の住宅再建も進み、住宅供給に余剰感があるようだ。当初計画に固執して失敗するよりも、的確な見直しは望ましい」と答えた。右肩上がりの時代が終わっても続く再開発事業の「定義」を再検討しようという言葉にも受け取れた。
再開発の核施設も、従来型の商業にこだわらず、福祉や保健・医療、市民公益施設など多様化へと向かいつつある。それを先取りした例が宝塚市にある。売布神社駅前で二十九日に開業する復興再開発ビル。市内で約三十年ぶりの復活となる映画館と、和風ホールなどが入る。地域住民の要望が実り、運営にも住民が参画する。いわば「官設民営」の施設だ。
まちが再び活気を取り戻すには、宝塚のように、地域住民自らの「企画力」が問われている、といえる。
「新長田でも、採算面だけ見ると民間の進出も厳しく、にぎわい創出には相当な時間がかかる。期限付きでもいいから、福祉や文化関係のNPOに委託するなど、発想の転換が必要ではないか」
被災地のまち再生にかかわる塩崎賢明・神戸大教授(都市計画)の提言だ。
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「震災からのメッセージ」。今回は、復興まちづくりの過程をたどり、今後の課題を探る。
1999/10/17