東日本大震災から間もなく1年半。被災地では、高台移転などの計画がようやく出そろいつつある。阪神・淡路大震災では、行政がわずか2カ月で区画整理や再開発の事業方針を決めた。「拙速」との批判を浴びながらも突き進んだ17年前と、東日本の被災地の現状は何が違うのか。国と自治体、住民の思いが交錯する「復興まちづくり」の実相に迫る。(安藤文暁)
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「ハードは復旧し、人口も戻った。しかし、街ににぎわいがない。被災者の目線とのずれについて反省すべき点は非常に多かった」
昨年4月30日。東京都内で開かれた「東日本大震災復興構想会議」の第3回会合。阪神・淡路の復興行政を主導した前兵庫県知事、貝原俊民(78)の発言に、委員の視線が集中した。
区画整理や再開発の進展で街並みは一変し、高層ビルや復興住宅が林立する。防災力や住環境を高め、持続可能な街を目指したはずだった。
だが、被災者からは「元の場所に戻りたかった」「高齢者ばかりだ」などの不満が漏れる。復興を急ぎたい行政の思惑と被災者感情…。それらを両立しきれなかったとの貝原の述懐は、東日本の被災地が抱えるジレンマでもある。
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「タイムスリップしたみたいだ」。今春、神戸市から宮城県名取市に派遣された復興まちづくり課主幹、森下武浩(43)が日々を振り返る。
津波で700人以上が命を落とした閖上(ゆりあげ)地区。市は今年3月、江戸期以前から漁業で栄えた町の現地再建を目指し、区画整理を導入する方針を決めた。だが、直後の説明会では住民らの怒号が響いた。「十分な説明を受けていない」「生活再建に追われ、考えられる状態じゃない」。計画を説明する森下の脳裏に、17年前の光景がよぎる。
当時、神戸でも、行政による区画整理や再開発の事業方針に、住民が猛反発した。市役所に押し寄せる約150人の市民を、スクラムを組んで制止する職員の中に森下はいた。そこで浴びせられた罵声と同じ言葉が繰り返された。
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阪神・淡路と東日本。二つの震災復興まちづくりには違いもある。それを読み解く鍵は二つの法律にある。「建築基準法84条」と「被災市街地復興特別措置法(特措法)」。まちづくりの方針を決めるまで特定区域に一定期間、建築制限を認める法律である。
阪神・淡路が2カ月で方針を決めた大きな理由に84条がある。同条文による建築制限の期間は「最長2カ月」。名取市など東日本で使われている特措法は「2年以内」と規定されている。
名取市は昨年5月から、住民代表らも参加する会議で、町の再建策を練ってきた。だが、議論の末に決められた区画整理の方針は住民の激しい反発に遭う。市は今年7月、約2500人の地権者全員との個別面談を始めた。事業認可は目標としていた8月をずれこみ、めどは立っていない。
「なぜ、阪神・淡路みたいに素早くできないのか」。現地再建を求める住民から、そんな声も聞かれ始めた。
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早期復興と住民合意。どう両立させるかは、災害のたびに直面する難題だ。阪神・淡路の1カ月後に特措法が成立したのに、なぜ、神戸市や兵庫県は84条にこだわったのか。実は、二つの法律をめぐって、国、県、市が激しいせめぎ合いを繰り広げていたことが、神戸新聞社が入手した内部文書や関係者の証言で明らかになってきた。
話は17年前にさかのぼる。(敬称略)
2012/8/17