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まちをつくる 二つの震災、続く葛藤 災害列島に生きる

(5)2段階方式 住民猛反発 異例の決断
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神戸市都市計画審議会の傍聴を求め、市職員と押し問答になる住民ら=1995年3月14日、神戸市役所
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神戸市都市計画審議会の傍聴を求め、市職員と押し問答になる住民ら=1995年3月14日、神戸市役所

神戸市都市計画審議会の傍聴を求め、市職員と押し問答になる住民ら=1995年3月14日、神戸市役所

神戸市都市計画審議会の傍聴を求め、市職員と押し問答になる住民ら=1995年3月14日、神戸市役所

 神戸市のまちづくり案の縦覧期間はわずか2週間。家の再建もままならぬ中、区画整理や再開発を突き付けられた住民らは猛烈な反対運動を巻き起こす。市に寄せられた意見書は2千件を超えた。

 1995年3月14日午後2時。市役所で、市の都市計画審議会(都計審)が非公開で始まった。会場前の廊下に住民ら約150人が押し寄せ、スクラムを組んで阻止する職員らともみ合いになった。

 「傍聴を認めろ」。怒号が飛び交う。会場内では市民代表8人が「(決定は)もう少し待ってほしい」などと陳述した後、退席させられた。

 多数決による採決は、実は都計審の4日前にほぼ決まっていた。「事前審」と称する委員への説明会。神戸新聞社が入手した議事録などに、市の入念な準備がうかがえる。

 「(計画の)細部は住民と考える」。再開発は事業収支を国に示す必要があり、ビルの規模などを決めておく。だが区画整理は公園、道路など「大枠」を決め、詳細は後で詰めればよい。迅速な決定と住民参画の両立。窮余の策だが、流れはほぼ固まった。

 一方、都計審の直前に成立した「被災市街地復興特別措置法(特措法)」は建築制限の期限を「2年以内」としたが、使わない理由を「特措法は仮設店舗などの建設を認めていない。都市計画決定をすればできる。商店主らの営業再開を急ぎたい」とした。

 議論の末、市の案は原案通り可決される。舞台は16日の兵庫県都計審に移された。

    ◆

 神戸と同様に、区画整理や再開発が計画された西宮、芦屋、宝塚市などでも住民の反発は激しく、兵庫県への意見書は3500件を超えていた。

 事態をどう収拾するか。県都計審前日の15日深夜。知事だった貝原俊民(78)は、関係市町のトップを県庁に集め、ある方針を伝える。

 その直前、貝原は神戸市長笹山幸俊(故人)と会った。「終戦時を教訓に無計画なまちづくりを防ぎ、行政主導でやりたいとの思いは分かるが、住民参画の時代。強引には無理だ」。神戸市の方針に沿いつつ、都計審後の会見で踏み込んだ発言をする。貝原の提案に、笹山はうなずいた。

 翌16日午前10時。県都計審が非公開で始まる。委員の関西学院大教授(現・名誉教授)真砂泰輔(81)が慎重な意見を述べた。「1、2カ月延ばしても、事態は変わらないかもしれないが、説得の姿勢を見せることが市民の信頼を確保する道ではないか」

 だが、全て原案通り可決され、5市町255ヘクタールでの都市計画が決まった。「今後、住民と十分意見交換を」。異例の付帯意見が記された。

    ◆

 その夜、貝原は記者会見でメッセージを出す。前夜、笹山らに伝えた方針だった。

 「市町と住民が十分な協議を進め、(身近な道路、公園など)第2段階の都市計画決定をしていく。骨格部分の変更が望ましいのであれば、弾力的に対応していきたい」

 各地区につくる住民主体の「まちづくり協議会」との協議に最終的な決定を委ねる。異例の「2段階方式」により、決まった計画が“たたき台”にとどまる恐れもあった。

 神戸市都市計画局長だった鶴来(つるぎ)紘一(72)は「あり得ない話だったが、2千件もの意見書が出され、廃案になってもおかしくなかった。苦渋の承諾だった」と振り返る。

 急がなければ、紛糾の泥沼に陥る。強い危機感が住民との妥協点を探る「2段階方式」を生んだ。その評価は今なお分かれるが、16年後の東日本大震災で、再び焦点が当たることになる。=敬称略=

(安藤文暁)

2012/8/22

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