長机に広げた地図に、職員たちが被災状況を示す印を次々と付けていく。
昨年3月末。宮城県庁の土木部建築宅地課。東日本大震災の大津波で被災した市町からの連絡を待ちながら、建築指導班長の千葉博之(52)はカレンダーに目をやった。「2カ月なんて到底無理だ…」
約2週間前の3月16日。兵庫県は関西広域連合を通じ、「建築制限の手順」と題する3枚の文書を宮城、岩手、福島県の知事に送っていた。
「至急に被災市街地を調査し(略)建築基準法84条を適用すべきだ」。兵庫県知事井戸敏三(67)も「(阪神・淡路大震災では)2カ月で決めざるを得ず、多くの反対意見が出された(略)迅速かつ住民総意の復旧復興を期待します」との一文を添えた。
この提言を受け、宮城県知事の村井嘉浩(52)は土木部に調査を命じる。しかし、被災市町の反応は鈍い。被災後わずか3日で調査を終えた神戸市とはまるで違っていた。
「手が回らない…」。庁舎が被災し、職員が犠牲になるなど行政機能そのものがまひする自治体が相次いだ。後に判明する宮城県内の浸水面積は3万2700ヘクタール。神戸(北・西区を除く)-尼崎の沿岸4市全域に匹敵する規模だ。
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調査開始から約3週間後の4月8日。宮城県は名取市や南三陸町など4市2町に84条を適用する。ただ調査は思うように進まず、絞り込めないまま指定した建築制限区域は1800ヘクタールを超えた。
84条による建築制限の期限は「最長2カ月」。既に失効まで約1カ月しかなく、千葉らは国に延長を要望する。
4月22日。法改正は閣議決定され、特例で「8カ月」に延長される。阪神・淡路では拒まれた要望だが、当時を知る神戸市の幹部には「失敗の反省からか、官僚の対応もスムーズ」に映った。
一方、阪神・淡路の1カ月後に成立した「被災市街地復興特別措置法(特措法)」。建築制限を「2年以内」に延ばせる半面、法律を適用するにはどこが被災市街地かを明示する必要があった。
宮城県は2段階の方針をとる。84条による建築制限の期限が切れる11月11日までに被災区域を確定し、特措法に移行する。これにより震災2年後の2013年3月11日まで継続できることになった。
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阪神・淡路に比べて「遅い」と指摘される東日本の復興まちづくり。だが宮城県は4月1日に知事の特命で土木部に推進チームを設け、わずか1週間で「復興まちづくり計画」の原案を作っていた。
神戸新聞社が入手した原案には、既に高台移転と現地再建の予定地が記されている。チーム長だった千葉晃司(53)は「応急対応から速やかにまちづくりにシフトしなければならないが、都市計画の経験が乏しい市町が多く、たたき台が必要だった」と話す。
震災1カ月後の4月11日。死者・行方不明は2万人を超え、救助活動も続く中、千葉らは被災7市7町の首長を訪ね、計画策定を促す。国に財政支援を要望するため、事業費の算出も要請した。だがこれも思うように進まない。
4月中旬、兵庫県は「特措法が定める建築制限の『2年』でも時間が足りなくなる」との懸念を宮城県に伝える。国に対し、特措法の改正も要望すべきとの提言だった。
しかし、千葉らにそこまで見通せる余裕はなかった。
「兵庫県が示したレールに沿って動いてきたが、阪神・淡路と異なる事情が次々と出てきた。その対応に追われ、正直、『2年』の期限を実感できなかった」=敬称略=
(安藤文暁)
2012/8/23