神戸市長田区・JR新長田駅南
焼け野原だった一帯に再開発ビルが立ち並ぶ。購買力を支えたケミカルシューズ業界は衰退し、人口も減った。セルフ市場「フーケット」理事長、吉岡治(44)は嘆く。「ここまでひどくなるとは。当時は店の再開が夢だったが、今は悪夢…」
同区・丸五市場
震災前は約80店がひしめいたが、今は20店ほどまで減った。田中豊子(71)の営む漬物店がある路地は、9割のシャッターが閉まる。「さみしくなったけど、毎日来てくれる常連さんがおるから」
同市東灘区・青木商店街
震災発生時、隣接の市場とともに炎に包まれた。高齢化で後継者問題が深刻だ。カメラ店の明石次夫(67)は店を畳む時期を思い巡らせる。「売り上げはピークの30分の1以下。商売だけでは生活できない。年金が頼りや。これが復興とは…」
同区・甲南本通商店街
地震で8割の店が倒壊したが、ほぼ同水準に戻った。精肉店の海崎孝一(54)は生まれ育った地元にこだわる。「ここに骨を埋め、町のために尽くす。それが商売につながる」
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この19年で復興を目指した商業者らを取り巻く環境は激変した。1990年代以降、大型店の出店を規制していた大規模小売店舗法(大店法)が順次緩和され、郊外に巨大店の出店が相次いだ。2000年には大店法廃止。面積も営業時間も休業日も規制がなくなり、各地に数万平方メートルに及ぶ巨艦店が建設された。その後、国が再規制に動いたときには全国でシャッター通りが増えていた。
競争の波は再編を加速させ、流通大手はイオン、セブン&アイなどに集約された。大手傘下のスーパーやコンビニは激増し、寡占が進む。
「地域商業破れて大型店あり」といわれる。相次ぐ廃業、中心市街地の衰退。被災地でその様相は鮮明だ。経済評論家の内橋克人の提唱する「生きる、働く、暮らす」の三つが重なり合う場をどう再生するか。まずは被害の大きかった長田に向かった。=敬称略=
2014/1/16