阪神・淡路大震災後、まちづくりに取り組む商業者のグループがあちこちに生まれた。地盤としてきた地域の打撃、商圏人口の激減を目の当たりにして商店主らは立ち上がった。
活動が目立ったのが、大学との連携などで知られた「やる気ネット神戸」、「そばめし」や「ぼっかけ」などご当地グルメを生み出した神戸・新長田の「アスタきらめき会」。訪ねると、それぞれ2009年、12年に活動をやめていた。
やる気ネットの会長だった海崎孝一(54)は東灘区の甲南本通商店街の精肉店主だ。地震で店舗の8割が倒壊したが、現在はほぼ同数の45店ほどが並ぶ。周辺はスーパーの激戦区で、阪急オアシスやPマートなどがしのぎを削る。
「まいど!」。海崎の声はひときわ大きい。「今の時代、単にものを並べているだけでは大手に勝てん」「いかに地域に貢献するか。それが一番大事」…。持論は以前と変わらない。震災でまちづくりの大切さに気付いた。被災で商圏人口は4割近く減少。その後、マンション建設が相次いだが、新住民のファミリー層は空き地にできたスーパーに多く流れた。商店街は活力を失った。
「ボクらこの町で生まれ育った商売人。地域はいわば家族。盛り上げていきたい」。2001年、若手商業者らの情報交換の場として、やる気ネット神戸を設立した。約50人が参加し、勉強会を開いた。大学やNPO、行政などとも連携した。「商売人は情報が命。ネットワークで多くのことを学んだ」
では、なぜ活動を休止したのか? 「ずっと突っ走ってきたが、50歳を機にいったんやめようと思った。活動は一定の成果を挙げた」。節目を強調する海崎の口調から、震災後の時の流れを感じた。
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一昨年解散した新長田のアスタきらめき会も活動は多彩だった。1999年、商店主らで設立。修学旅行生の受け入れなどアイデアは斬新だった。メンバーが中心となり、まちづくり会社もつくった。元代表で茶販売店の伊東正和(65)は解散について「いつまでも同じ人間がトップでいるのはよくない。若手にこの厳しい状況を変えてもらえれば」。課題山積の中だけに複雑な表情だった。
08年のリーマン・ショック以降、消費不況は深刻さを増した。商店主からは「地域活動に参加するより、本業に力を入れざるを得ない」という声も聞こえてくる。
震災20年目に入った。復興をけん引し、第一線を走り続けてきた世代から次世代へ。「継承」の難しさをあらためて思う。=敬称略=(土井秀人)
▽甲南地域の商業 甲南本通商店街は東灘区で唯一アーケードがある商店街。周辺はスーパーが激増。売り場面積は1999年の6641平方メートルから2007年は1万3640平方メートルに倍増した。
2014/1/21