論ひょうご

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 今年は暖かい朝だった。雨が降りしきり、地面がぬかるむ。

 1月17日午前5時46分、神戸の御影地区で祈りをささげる。

 毎年、被災地のどこかで人の輪に加わる。凍(い)てつくような寒さの朝、雪の朝もあった。

 地元の住民が準備をする集まりでは、その時刻が近づくと、路地や家々から人が出てくる。人々は時報の合図で祈り、火にあたりながら短く言葉を交わして、静かに戻っていく。

 まだ更地が広がっていたころは、あちこちに花が供えられ、線香の煙が上がった。追悼の集まりに向かいながら、ここで誰かが亡くなったのだと実感させられた。

 やがて被災地は新しい街並みへと移り変わる。集合住宅の前で、そっと供えられた花の白さに胸を突かれた記憶は今も鮮明だ。

 お世話になった人のためにと、バイオリンで「ふるさと」を奏でた女性がいた。澄んだ音色に何かがこみ上げ、慌ててハンカチを取り出した朝も忘れられない。

 仕事柄、午前中は夕刊の作業に追われる年が長く続き、午後になって知人が亡くなったまちを訪れることが習慣になっている。彼の生前の姿や声とともに、この日は被災地で出会った人たちのことをよく思い出す。

 借地や借家で暮らしていた住民のため、市役所に公営住宅の建設を強く求めたまちづくり協議会の会長がいた。「元の住民が戻れないまちづくりなどあり得ない」。それが信条だった。

 被災し閉鎖が決まった工場で、従業員が希望する職場に移れるよう骨を折る労働組合の幹部たちの話を聞いた。最後にそれぞれ、希望者の少ない関東や北海道の工場へと移っていった。「定年後に会おう」と言い合いながら。

 全国から駆け付けた若いボランティアたちは憤っていた。「国はなぜもっと被災者に寄り添わないのか」。彼らと語り合ううち、しばしば夜が明けた。

 今年の1月17日の朝、街角にたたずむ男性に会った。祈りを終え顔を上げたところへ声をかける。「ここで母が亡くなりました」。今も近くに住むといい、短いやりとりの後、「仕事があるので」と立ち去った。このまちで生き残り、大切な人を失った後も、ここで生き続ける。

 あれから23年、被災地の人たちがきょうを生きる。その姿をいとおしく思う。

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