応募は終了しました
(本文は原則として原文の掲載です。
文末の年齢は、いずれも投稿時)
おどろきました。天国からの手紙。
5月、母が他界し、今でも悲しみはつきません。
今日家に帰ると時空レターという封書がありました。
開けてみたら黄ばんだセロハンテープになつかしい文字。
母の文字です。
読めば10年前の母が、10年後を考えて書いたものだと想像はつきます。
そして開封。
そこには「生きていないだろうか」という文面が冒頭にあり、「父の元へ旅立ったかな、孫の嫁や、結婚する姿が見たい」という思いが書かれてました。
あまりにもリアル過ぎて涙が止まりません。
本当に天国から送ってきてくれた気がします。
大切にしたいと思います。
【51歳】
おばあちゃん、2023年の私です。
10年前、私は受験生だったのですね。無事第一志望の公立高校に受かり、3年後卒業しました。この10年の間、大学を卒業して大学院に入学し、無事今年の3月に修了し、私は4月から社会人になりました。少し遅い、社会人一年目、会社で毎日頑張っています。初任給もそこそこ貰えました。良い会社です。
彼氏は…不在です。結婚の予定もありません。でもまぁそこそこ楽しく生きているので私はこのままでもいいかな。花嫁姿が見たいなら、あと10年は生きてもらわないと…(笑)
10年前のおばあちゃん、朗報です。おばあちゃんもおじいちゃんも2023年、ご健在です。 そして無事東京オリンピックも終わりました。
この会社で頑張ってビッグになるから、いつまでもお元気で!
【24歳】
10年前に主人が出したことは、知りませんでした。
応募する3年前からアルツハイマーを患い、段々、現実の世界から、仮想現実の世界になり、認知も進んで行きました。
どんどん現実が分からなくなりながらも、一度も死にたいと言わなかった主人。77歳の誕生日まで、あと1ヶ月というところで、亡くなりました。神様が、主人の望みをかなえてくれたのだと思います。
阪神ファンで、ともに甲子園にも足を運びました。なかなか優勝できない阪神でしたが、主人が書いた時空レターに「今年優勝する」と書いていました。
今年は、きっと阪神は優勝するでしょう。主人の書いていた通り、若手がたくさん伸びてきて、新生阪神です。
今年は、主人の七回忌です。いいお土産を持ち帰ってくれると思うと、とても嬉しいです。
【75歳】
次男に宛てた時空レター。当時反抗期でいつもとんがっていました。
毎日毎日言い合う日々。私も体調を崩して父の介護も重なり知らず知らずのうちに家族に辛くあたっていたのかも知れません。
次男はピアノが好きで毎日練習にはげんでいました。
コンクールなどにも挑戦し県コンクールはじめ賞もたくさんいただきました。
にもかかわらず水をさすような言葉を投げたりしました。理解者である母親から否定された次男の気持ちも考えもせず子離れできない自分がいたんだろうと思います。
今、次男は目標に向かってドイツで頑張ってます。
今度こそ寄り添って応援していきたいと感じました。
ドイツの次男には写メを送り当時の気持ちも伝えました。
思いがけず時空レターが来て本当に気持ちがすきっとしました。
今も父の介護でしんどいですが、孫ができ家事も夫の協力で支えてもらい今は周りに感謝して充実した毎日を過ごしてます。
【59歳】
今日、私宛てに時空レターが届きました。「時空レターって何? 誰から?」家族全員が「?」状態の中、開封してみると…当時5歳だった長女からの手紙でした。
そこには「おたんじょうびおめでとう。わたしはいま5さいです。このてがみをよむころはなんさいですか? いつまでもげんきでね。いつもおこらせてごめんね。でもわたしはおかあさんがだいすきです。」と、書いてありました。つたない字でしたが、それでも一生懸命頑張って書いてくれたのかと思うと、涙がポロリ…
長女本人はすっかり忘れていた様でしたが…当時、旦那が時空レターを知り、長女と一緒に応募したみたいです。
普段は何もしない旦那ですが、ちょっと感謝しました。そして長女よ、お母さんを怒らせてるのは今も変わりないけれど、素直な気持ちを忘れずこれからも成長してね! ありがとう!
【43歳】
10年前、息子は年中さん、主人は会社の研修でとても忙しくしていましたが、私にとって初めての子供で、もう息子の事が可愛くて可愛くて仕方がなかったあの時の想いが、今回の時空レターで思い出せました。レターの内容は、今では考えられないくらいポジティブな私が、家族に向かって「10年後も幸せですか? 元気でいますか?」と問い掛ける文面で、心が熱くなりました。今でも主人や息子は私にとってかけがえのない存在だし、皆幸せで元気です。そして、8年前には娘も生まれ、また1つ幸せな事が増えました。大変な事、辛かった事も沢山あったし、その度に心が折れそうに度々なりましたが、私の家族運は最高です!!!
【44歳】
中学一年生の頃、時空レターを祖父と祖母に書きました。当時、いじめに悩み、不登校になった私は、「手紙が届く頃には生きているか分からないから感謝の気持ちを書こう」と思っていたのを覚えています。差出人の理由は、不登校になったときは家にも居づらく、後ろめたい気持ちもあり、祖父と祖母の家によく行っていたためだと思います。実は10年前、祖父も私に書いてくれていたようで、偶然お互いが交換するという形になりました。思ってもいなかったので、これも運命だなと思いました。
祖父からの手紙の内容は、やはり当時の私に対するいじめへの思いで、たくさん悩んでくれていたことや心配していたこと、私のことが大好きだということ、手紙を書いた日は保健室登校から教室へ戻れるか試す日だということなどが書かれていました。
こんなに私のことを思ってくれていたという事実に感動し、改めて感謝することができました。
現在私は、過去の経験から私のような子どもを減らしたい、学校が楽しいと思って欲しいという思いを持ちながら、小学校の教員をしています。
この手紙を読み、改めて生きていることの大切さを実感しました。
【23歳】
おばあちゃんが手紙を書いてくれた時期、あたしは子どもほって遊びに行ったり帰らない日があったりと最低でした。
離婚して実家に帰って、子どもらの世話はおばあちゃんとおじいちゃんがしてくれていました。ご飯から風呂から、土日はどっか連れていってくれたりと、本当に最低な孫でした。心配で、10年後はどうなってるか心配で、手紙を書いてくれていたんだとおもいます。
手紙の最後は「これを読んでいる頃は幸福になっていてほしい」と。そのおばあちゃんも3年前に亡くなりました。
「生きていてこんなん届いたでー。今しあわせにしとるやん!!」
って言えたら、どんなにいいかと思います。
今は真面目に、来年は下の子が大学にいくから、必死に仕事しています。
ちゃんと自分を立て直して、子どもらと向き合って生活しています。
死んだおばあちゃんから来た手紙がどんだけうれしかったか、感謝しかないです。誰かに聞いてほしくて、書き込みさせてもらいました。手紙はちゃんと想いもとどきました。ありがとうございます。
おばあちゃん、ちゃんとこれからも子どもら大事にして真面目に生きるから、どうか安心してください。
【39歳】
コスプレイヤー・モデルをしている中学2年生です。14歳の誕生日に10年前の祖母から思いがけないお手紙が届き、嬉しかったのでTwitterでみんなに共有させてもらいました。(いいね2000超・インプレッション11万)
受験を経て中学生になって、部活や撮影会などで忙しく、以前の様に頻繁には会えませんが、今でも大好きなおばあちゃんです。なんだか10年前のおばあちゃんに会えた気がして嬉しかったです、こんな素敵なサービスをしてくれてありがとうございました!
【14歳】
11月、息子が16歳の誕生日を迎えた日に手紙は届きました。
すっかり忘れていましたが、10年前の私と6歳の誕生日目前の息子が書いた手紙が4通ありました。私から家族へ。私から息子へ。息子から息子へ。息子から私へ。未来の息子へ宛てた手紙でも胸が熱くなりましたが、5歳の息子から私への手紙は感動しました。思春期で難しくなり会話レスな親子になっていますが、ベッタリくっついていなくても、互いに信用・信頼し本音が話せる関係を築いていけたらなと、5歳の息子が未来に来て元気をくれました。宝物になった手紙にはこう書かれています。「10年後のままへ ままが1ばん せかいで1ばんすきです なんさいになっても すきってゆってあげます バザーおつかれさまでした いつもようちえんでがんばってくれてありがとう」
※当時私はPTA役員の部長をしていました。
【49歳】
そろそろ届くかも...と思っていたら、届きました!
手紙には10年前の忙しくしている私がいました。とても懐かしかったです。
一緒に同封されていた、当時3歳と9歳の息子の夕飯風景を撮った写真。今ではありえなく可愛い2人に涙が溢れました。
手紙には「がんばっているお母さんをギュッとしてあげてね」と書いていました。隣で一緒に読んでいた主人だけがギュッとしてくれました。(笑)
息子たちは、大きく成長し、もう立派に親離れしています。
これからの10年、私らしくまた生きていきたいって思えました。
【48歳】
2013年、39歳の私と9歳の娘から、時空レターが届きました。
シングルマザーとして忙しく働く私と、娘と猫の3人暮らしでした。
時空レターを書いたのは、娘を学校に送り出した後、1人コーヒーを飲みながら新聞を読んでいる時と書かれてました。
その後私は再婚し、娘と猫も一緒に今は愛知県に住んでいます。
そして2023年この時空レターを開いたのも、やっぱり朝コーヒーを飲みながら新聞を読んでいる時でした。
変わった事、変わらなかった事。
10年前からは想像もつかない、いろいろあった10年でした。
20歳になったら、「お母さんと一緒に紫色の瓶に入ったお酒を飲んでみたい」と、娘の手紙に書かれていました。来春の20歳の誕生日に、家族で紫色の瓶のお酒を飲みながらお祝いしたいです。
2013年の素敵な手紙のおかげで、懐かしい日々を思い出し、
今ある幸せに感謝する朝となりました。
【49歳】
昨日、10年前に担任した当時の児童数名から、「自分宛てに出した手紙が届いた」と連絡がありました。私は、6年生の担任でした。学級通信を発行していましたが、10年後の子ども達に向けての通信も一緒に入れていたようです…。というのも、私は子ども達が手紙を書いたのは覚えていましたが、通信をしのばせていたことは、すっかり忘れていました。そんなこんなを、昨日連絡で思い出しました。子ども達に感謝!です。熱いものが込み上げている今です。
【53歳】
父から母へ宛てた手紙が届いたと、妹から突然連絡がきました。
京都で一人暮らしをしていた私ははじめ、何を言っているのかと困惑しました。父は手紙を書けるはずがありません。先日、七回忌を終えたばかりだったからです。よくよく聞くと、これは神戸新聞の企画で、10年前に書いたものだというのです。届いた日は母と父の結婚記念日で、そんな奇跡みたいな話があるのかと大変驚きました。そして実家に帰った際に、その手紙が父の写真の前に大切に飾られているのを見つけて、こっそり読んでみました。あの日から、私は何度か「父が本当は生きていた!」という変な夢を見てきましたが、そこには、今日も生き続けている気でいる父の姿がありました。手書きって凄いですね、生きていました。
手紙を10年もの間保管して下さった方、忘れずに届けて下さった方々に感謝いたします。
この手紙は、母を、そして私たち家族をこの先何年も生かしてくれるものになるでしょう。心強いです。本当にありがとうございました。
【27歳】
父母から、10年前に書いた手紙が届くとは。本当にサプライズでした・・・。
内容は、私の家内への感謝の気持ちと、孫たちを溺愛していること、息子の私への叱咤激励などで、家族の写真も同封してあり、読んでいるうちに涙が溢れ出ました。今も2人が健在なら、と思いながら・・・。
父は、4年前に病が発症し、長い入院生活の後、一昨年に亡くなりました。母は、6年前に認知症状が出始め、現在は施設で生活しています。体も弱り、ベッドに寝たきりで、食事は胃ろうを介して、会話もほとんど出来なくなっています。
そんな2人から、「今」メッセージが届くとは。泣かないはずなく・・・。
この10年の間、私の環境も大きく変わりました。長年勤めていた会社からは突然のリストラ通告。現在は高齢者施設で介護士として働いています。そして、私たち夫婦の間にも少しずつ隙間が出来始め、今は別居しています・・・。
10年前のまだ2人ともが元気だった頃に、愛情溢れる手紙を書いていてくれたことに、感謝の気持ちで一杯です。やっぱり親の背中は大きい。
【55歳】
今日家に帰ったら、10年前(当時中学1年生)の同級生から時空レターが届いてた。
封筒を見た時は全く覚えがなくて、「なんだこれ」って思いながら差出人を見たら、中学の時の同級生の名前で。
全然手紙のことは思い出せなかったけど、差出人の名前と一緒に中学の名前と学年、クラスが書いてあったから、多分中学の授業かなんかで書いたのかなと思う。
私は誰に書いたかはまだ思い出せてないけど(笑)
でも中1の時は差出人の子と一番仲良かったしクラスも一緒だったから、多分私も差出人の子に出したんだと思う。
受け取った時は、覚えてなかったからってのもあるけど、正直手が少し震えるほどびっくりした。
差出人の子とは高校が別になってからも遊んだりしてたけど、高2になる頃には連絡も取らなくなって。
それに私が高校卒業と同時にLINEのアカウントを消してしまってたから。
高校卒業後から現在に至るまで、今でも仲良くしてる数人と繋がってるだけ。
中学までに知り合った人達の連絡先は1人も知らない。
そんな状況で届いて、感覚的には数十年ぶりなんじゃないか...と思うほど久しぶりに見た名前。
連絡先1人も知らないとは言ったけど、私はその事を今でもずっと引きずってて後悔してる。
中学の時に色々あって、高校入っても色々あって、卒業と同時に人生をリセットしたい、そう思ってしまって消した。
記憶が遠くなるほど楽しかった思い出だけが出てきて、今が辛くてしんどければしんどいほど過去を思い出してしまって。
だから今でも過去が忘れられずに後悔してる。
住んでるところが変わったわけでもなく、ずっと同じ地域に住んでるのに成人式にも行けなかった。
行かなかったんじゃなく、行けなかった。
親や友達には適当に「別にいいかな~」なんてすましてたけど、行く人がいなかっただけ。
私は昔から行事ごととかに憧れがあって、成人式含め色んなこと子供の時から楽しみにしてたのに、大人になった今、何にも手元には残ってないし何一つ身になってない。
「大人」っていうものが当時は凄く遠くて、想像すらできない存在だったからこそ、「いつかいつか」と思って、気づいたら「いつか」は過ぎてた。
情けない、この上なく情けないしみっともないし、つらい。
何度縋っても過去は取り戻せないのに、それが分かるのに思い出してしまうからつらい。
この手紙が届いて、また取り戻せない過去を思い出した。
でも、この手紙が届いて良かったと思う。
中学卒業してから行き当たりばったりで、全然自分の描いた未来とは違う方向にばっかり進んでしまって、自分が普通の人より劣ってる、何にもできない人間だってことを何度も何度も何度も認識させられた。
周りの温情に助けられて今こうして生きているけど、学校卒業してからどこにも就職できなくて、同い年の友達はみんなちゃんと働いて「社会人」になっていく中で、私は何にもできなくて。
それでも何とかしたくて、最近やっと就職が決まった。
23歳になる、約1週間前に内定が出た。
そして23歳になった数日後には社会人としての生活が始まる。
そんな中、誕生日の前日に昔の友達からの手紙。
ずっと後悔してるあの頃からの手紙。
緊張しながら開いた手紙の内容は、正直特段泣けるような内容が書いてあったわけでもなく、絵を描くのが好きだったあの子が描いたイラスト多めの手紙。
文章なんてほとんどなくて、イラストについてコメントがついてるだけ。
そんな内容。
だけどあの子らしい手紙。
当時の私たちは毎日話して遊んで、それこそミニ手紙を交換し合ったりして。
そんな関係で、そんな関係がずっと続くと思ってたからこそ、きっと手紙に特別な内容は必要なかった。
いつもみたいに気軽にミニ手紙で話すみたいに書いただけ。
あの子はきっとそんな気持ちで書いたんだろうな、ってのが分かる内容だった。
あの子らしいな。
最後に
「またどこかで会おーね!バイバーイ( ?∀? )ノシ」
で終わってた。軽いな(笑)
でもあの子らしいよな。
また、どこかで、会えるかな。
なんて、会えないよね、分かってる。
連絡取ってなかったとしても私から消えたんだもん。
マンガやドラマみたいに再会なんて現実的じゃない。
再会できたところで「あなた誰?」がオチ。
でも、死ぬまでもう会うことがないって分かってても、いつかまたもしどこかで会えたらいいなって少し思うだけならいいかな。
それで後悔がなくなるわけでも過去を思い出して辛くなくなるわけでもないけど、私はこれからも未来へ進まなきゃいけなくて。
どれだけ人より劣ってて何もできない自分でも、今を生きていかないとダメで。
その現実からは逃げられなくて。
これからもしんどくて辛くて泣きたくて、逃げたくなる時は絶対あるけど、これから始まる新しい生活へ進む一歩として、どこかで繋がってるって、見通しが立たない今後への再会を想うことで勇気になるから。
今や霞がかかったあの頃からの時空を越えた手紙。
戻りたくても戻れないあの頃からの手紙。
もうとっくに「大人」といわれる年齢になってしまった私。
多分これからもずっとあの頃を思い出しては焦がれて、後悔して、
そしてこの手紙を思い出して、「今」を生きていきます。
ごめんね、ありがとう。
本当にありがとう。
あの頃が、大好きでした。
2023年9月 中学1年生のあの頃へ
明日で23歳になる私より