明石

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地元住民らが担ぎ上げた布団太鼓。ほぼ完全に復元できる状態で保管されていた=明石市大蔵八幡町(藤本庸文さん提供)
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地元住民らが担ぎ上げた布団太鼓。ほぼ完全に復元できる状態で保管されていた=明石市大蔵八幡町(藤本庸文さん提供)
カーブで布団太鼓を方向転換させた道具「ソリ」。木棒を使い、てこの原理でソリに載せた布団太鼓の向きを変えた=明石市大蔵八幡町(藤本庸文さん提供)
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カーブで布団太鼓を方向転換させた道具「ソリ」。木棒を使い、てこの原理でソリに載せた布団太鼓の向きを変えた=明石市大蔵八幡町(藤本庸文さん提供)

 兵庫県明石市大蔵八幡町、穂蓼(ほたで)八幡神社の秋祭りで戦後長らく使われ、その後約60年にわたって倉庫に眠っていた布団太鼓が、ほぼ完全に復元できる状態で保管されていたことが市民グループの調査で分かった。修理などで手を加えられた形跡はなく、一緒に保存されていた高欄掛が江戸末期~明治期の制作とみられることから、市内に現存する布団太鼓では最古の可能性が高いという。(川崎恵莉子)

 同神社の秋祭りは現在、1981(昭和56)年に新調した布団太鼓を使用。地元住民によると、保管されていたのはその先代に当たる。高度経済成長期、伝統行事が衰退していく全国的な流れの中、61年を最後に姿を消した。その間、秋祭りは神事のみ続けられていたという。

 今月中旬、市内の祭りの変遷を調査している市民グループ「明石の布団太鼓プロジェクト」などが状態を調べるため、解体保存されていた部材を確認。住民の協力で約60年ぶりに組み立てたところ、一部に腐敗が見られたが、ほぼ完全な状態に復元できたという。

 同グループによると、担ぎ棒を含む全長が約6メートル、幅1・3メートル、布団部分を除く高さは2・5メートル。現在の布団太鼓に比べて小ぶりで、屋根の下に施す狭間(さま)彫刻が少ない伝統的な型式の「明石型」だった。

 屋台の四方を飾る高欄掛には、宝珠を手に海中を泳ぐ海女と龍神、竜宮城が金の刺しゅうで描かれていた。古史にまつわる伝説「海女の玉取り」にちなんだものという。明治初期に四国地方を中心に流行した絵柄とされ、赤い布地や一部はほどけているものの金糸を使った刺しゅうは色鮮やかさを保っている。

 同グループ代表の藤本庸文さん(71)=同市=は「布団太鼓も同時期に作られた可能性がある」と指摘。市内に約40台ある布団太鼓の多くは戦前、戦後以降に新調されているといい、現存する中では最古とみられる。

 倉庫にはわらなどが詰まった長い筒状の麻袋もあった。これは屋根に載せて布団に見せるための部材で、江戸末期ごろに使われた方式という。木製車輪を付けた布団太鼓を曲がり角で方向転換させる際に用いた「ソリ」と呼ばれる道具も確認された。現物が保管されているのは珍しい。

 調査に立ち会った市文化振興課の稲原昭嘉文化財担当課長は「布団太鼓の多くは老朽化などで新調されており、当時の姿のまま残る例はないと思われる。明石の祭り文化の歴史をたどる上で貴重な遺産。展示など活用する方向で今後検討を進めたい」と話している。

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