明石

  • 印刷
がれきの中で行方不明者を捜索する兵庫県警の警察官=2011年3月、岩手県釜石市
拡大
がれきの中で行方不明者を捜索する兵庫県警の警察官=2011年3月、岩手県釜石市

■東北へ派遣 経験通じず

 「あの時と同じや」

 2011年3月12日。近畿管区機動隊中隊長(兵庫県警生田署地域課長)谷本弘行(50)=明石署刑事2課長=は、岩手県釜石市のJR釜石駅で立ち尽くした。

 駅前の歩道に毛布でくるまれた津波の犠牲者が並ぶ。阪神・淡路大震災で遺体安置所になった村野工業高校(神戸市長田区)の体育館の光景が重なった。

 3月11日午後2時46分、三陸沖でマグニチュード9・0の大地震が発生。その時間、神戸市のJR三ノ宮駅で、卒業式を終えたばかりの若者の警戒監視任務に当たっていた。現場で同僚から「東北で震度7の地震が起こった。すぐに向かってください」と告げられた。

 直線距離で約800キロ離れた釜石市への出動命令。救助用の道具や水を詰め込み、2時間後に出発した。

 69人の部隊で阪神・淡路大震災での経験があるのは自分1人だけだった。あの時とは立場が違う。自分が慌てれば部下は動揺する。バスの中で隊員に語りかけた。「大規模災害での心構えはこの前、俺が伝えた通りや」

 1カ月前。車座になった隊員を前に阪神・淡路の経験を語っていた。「自分の気持ち、判断一つで人が死ぬことがある。生きている人から助けろ。家に声を掛けて回れ」

 茨城県の辺りから道路はひび割れ、福島県に入ると高速道路に地割れが起こっていた。釜石に到着したのは震災発生から18時間後の真夜中。駅前の家電量販店駐車場にバスを止めた。辺りは明かり一つなく静まり返っていた。

 夜明けとともに、変わり果てたまちが姿を現した。全長100メートルはあろうか、大型タンカーが防波堤に突き刺さっている。うずたかく積み上がったがれきの山の一番高い所に、真っ赤な消防車が載っていた。

 阪神・淡路大震災では、全国から警察、消防機関が応援に駆け付けた。他府県警のバスが神戸の被災地をパトロールし、警察官が掘り起こし作業をした。「応援と思うな。自分の県だと思ってやれ」。隊員にげきを飛ばした。

 声をからして倒壊した家屋に呼び掛ける。「もしもーし」「誰かいますか」。反応は一つも返ってこなかった。

 津波でまちが流され、生存者はどこにいるのかさえ分からない。がれきをどけると遺体が見つかる。救助できたのは2階建て民家の2階に閉じ込められ、手を振って窓から助けを求めていた高齢女性1人だった。

 「阪神・淡路の経験は東日本大震災の現場では全く生かせなかった」

 東北の被災地には同年だけで6回入った。児童74人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校で、遺体の捜索や形見となるアルバム探しなども手伝った。「骨のかけら一つ、写真1枚でも家族に届ける」。1メートル進むのに1時間かかるヘドロのため池をさらった。見つけた骨は、人間の骨かどうかさえ分からないほど小さかった。

 二つの震災に立ち合っていま思う。「予想もできない現場がある。自分の判断一つで命を左右する現場がある。人の命を守る警察官は平常心であらねばならない」=敬称略=

(長沢伸一)

明石
明石の最新
もっと見る
 

天気(9月9日)

  • 33℃
  • 27℃
  • 30%

  • 34℃
  • 24℃
  • 40%

  • 35℃
  • 28℃
  • 20%

  • 35℃
  • 26℃
  • 20%

お知らせ