主人公は困っている人を助けに海からやってきた妖怪「あまびえさん」。大きな病気がはやり、国や家に高い壁ができて閉ざされた世界を飛び回る-。新型コロナウイルスと闘う世界になぞらえた物語の絵本を、兵庫県明石市の市民グループが制作している。文章を担当したのは昨年8月、40歳で急逝した小学校の先生。がんの闘病中に書き上げた。「あえなくてもあいされているよ」-。あまびえさんが子どもたちに残すメッセージ。教え子やわが子に託した思いが重なる。(長沢伸一)
元谷八木小学校教諭の高橋祐子さん。明石北高校を経て兵庫教育大に進学。在学中の講義の一環で小学生と触れ合い、教員の道を目指す決意が固まった。
「それからは一直線。エネルギーのほとんどを仕事に回していた」。母の岡本米子さん(69)=同市=は振り返る。
これまで尼崎、明石市内の3校に勤務。理科の授業でチョウを育てるため、自ら幼虫が集まる場所を探し、クラスの人数分を集めたこともあったという。
谷八木小3年生の担任と研究リーダーを務めていた2019年12月、市内の教員約200人の前で研究発表をした。岡本さんによると、準備中から胃に違和感を感じ、当初は仕事のストレスが原因と様子を見ていたという。しかし不調が続いたため、検査をしたところ翌20年の2月、胃に腫瘍が見つかった。
手術のため、学校を休むことになった高橋さんは、知り合いだった市民グループ「Casaそら」(同市大久保町西脇)のみんな食堂やイベントを手伝うようになった。
同6月の活動日、代表の中野愛子さん(48)は疫病よけの妖怪アマビエを主人公にした絵本をつくる構想を高橋さんに語った。文章を依頼すると、大学で国語を専攻し、文章を書くのが好きだった高橋さんは二つ返事で応諾した。
高橋さんはそれから間もなくして、がんの再発を告知された。気遣う中野さんに「気が紛れるし、やるわ」と応えた。「祐子ちゃんの目の光から、病と向き合う覚悟を感じた」と中野さん。既に描き上がっていた6枚の絵を見せ、物語の具体化に向けて意見を交わした。
ある日、「大きな病気からみんなを助けてほしい」と海の底に手紙が届き、「あまびえさん」は200年ぶりに目を覚ます。病気の流行でみんなが閉じこもり、分断された世界で、あまびえさんは世界中の人の心の窓を開けていくという物語。文章は一週間ほどで完成した。
高橋さんは治療に専念するため、同7月から熊本の病院へ。しかし、病状は好転せず帰郷。同8月から市内のホスピスに入院した。
昼間は夫や3人の子どもたちと楽しく過ごし、1人になる夜は家族に宛てて手紙を書いていた。制作途中の絵本をホスピスで手に取った高橋さん。「あなたが書いたの」と尋ねた岡本さんに「ちょっと手伝っただけよ」とほほえんだ。
同8月中旬、ホスピスを訪れた中野さんに、言葉を発しにくくなっていた高橋さんはメモに書いた文字をみせた。「ようこそ。私の一生の中で一番幸せな一週間へ」
その翌日、高橋さんは亡くなった。絵本の完成は間に合わなかったが、高橋さんが残した文は通夜の席で僧侶によって披露された。
◇ ◇
アマビエが吸い込まれていった空に虹が架かる、絵本のラストシーン。「ぼくはおもうんだ」。メッセージはこう始まる。
『うれしいことと おなじくらい つらいことも かなしいことも まけそうになることも これからおこるかもしれない。でも、だいじょうぶ。ぼくたちはつながっているから。』
再発を知らされ、死の不安と向き合いながらも、高橋さんが気にかけていたのは、子どもたちのこと。3人の子どもとこれまで受け持った子どもたちのことだった。
絵本は3月上旬に完成の予定。「直接手を握り合うことはできなくても、文章が残っていれば祐子ちゃんの言葉を伝えられる」と中野さんは信じている。
「姿は見えないけど、みんなとつながっているし、いつも一緒にいるよ」。日増しに春めく空の向こうから先生の思いは届く。
