神戸港を見渡しながら神戸への愛着を語るイチロー選手=2004年12月30日、神戸新聞社屋上から
神戸港を見渡しながら神戸への愛着を語るイチロー選手=2004年12月30日、神戸新聞社屋上から

 日米通算4千安打を達成し、球史に新たな記録を刻んだイチロー選手(39)=本名鈴木一朗=の原点は神戸にある。ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブ(現・オリックス・バファローズ)に入団し、たゆまぬ努力で無名選手から大記録にたどりついた。「今ある僕の人格や考え方は、ほとんど神戸でつくられた。一番何かを感じて成長する時期に神戸にいた」。イチロー選手はそう語っていた。

 阪神・淡路大震災発生から10年を控えた2004年末、神戸新聞社のインタビューに応じ、普段は胸の内に秘めて明かさない震災や神戸にこだわる理由を存分に語ったことがある。

 1992年、オリックスに入団。3年目に登録名を「イチロー」に変え、210安打の日本プロ野球最多安打記録を達成し、才能を開花させるまでは苦しい時期を過ごした。「あの3年間が大きかった。一番何かを感じて成長する時期に神戸にいた」と振り返った。

 震災の後、「がんばろうKOBE」のワッペンをユニホームに着けたチームは95年にリーグ優勝、96年は日本一に輝いた。

 快進撃で被災地、神戸を勇気づけた。「震災で傷ついた人たちが球場にやってきて、スポーツを見ることでつらいことを忘れようとしている。街に出れば、震災に遭った人たちが、僕に何かを託していると感じることができた。(95年のリーグ優勝は)何かに導かれるような感じだった」

 2001年にアメリカに渡った後も毎年シーズンオフには、神戸で自主トレーニングを始める。

 「神戸は人が熱い。震災があって、球場に行くのが難しい状況で、あれだけ人が集まった。神戸が好きだから、ここで自主トレを始めるんです」と明かした。1月17日に練習場で黙とうをささげる姿を元チームメートが見たこともある。

 「出身は愛知県ですが、僕にはふるさとが二つある。震災は忘れないのではなく、忘れられない。一生、神戸と付き合っていくと思います」。イチロー選手の言葉だ。

(木村信行)