東京・浅草観光に必須の巨大建造物が三つ、隅田川のほとりにそびえる。東京スカイツリーとビアジョッキ形のアサヒグループホールディングス本社、そして金色の雲のようなオブジェ「聖火台の炎」をいただく同社のスーパードライホール。
オブジェは重さ360トン。長さが44メートルもあり、先端の十数メートルは、建物の枠外にはみ出ている。はみ出た部分には暖房を内蔵し、冬につららが落ちる事態を防ぐ。維持管理のために、内部に関係者が入れる構造だ。(一般には非公開)
「このオブジェは神戸生まれ。川崎重工業が神戸工場で、造船の技術を使って造り上げました」と、ホールを管理するアサヒプロマネジメントの今泉慶一さん(48)。
ホールは1989年、同社の創業100年を記念して本社とともに建てられた。デザインは、フランス人フィリップ・スタルク氏。新世紀に向かって飛躍する企業の燃える心を表すべく、聖火台をかたどった建物の上に金色の炎がたなびくさまをイメージした。
そのイラストを図面化したのが、兵庫県豊岡市出身の建築士、野沢誠さん(64)。東京で独立したばかりだったが、別の仕事で組んだスタルク氏から指名された。
建築の手法では表現し切れないと考え、思い浮かんだのが、以前見学した川重の造船工場。いくつものパーツを溶接し、一つの巨大な船に仕立てていた。「あのやり方なら、一つの大きな炎ができるかも」
川重の子会社、川重マリンエンジニアリングが、工法も含め設計。造船とは無関係のオブジェを手掛けるのは初めてだったが「船首を造る要領で対応できるのでは」。微細な凹凸やうねりを、船と橋に使われる技術、構造を駆使して再現した。造船の熟練工らが、神戸のドックで仮組みを終え、パーツに分解して東京へトラックで送り込んだ。
オブジェは、下の建物の柱3本で支える構造。地上31メートルにパーツをつり上げて組み立て、溶接する作業も容易ではなかったが、関係者の努力で着工から約1年で完成させた。当時のアサヒビールの樋口広太郎社長は「アサヒの飛躍の基地であり、東京の新しい川の手文化の一翼を担うビル」と胸を張った。
あれから30年近く。兵庫生まれの聖火台の炎は、東京を代表する景色の一つになった。「船は造ったら最後、まず会えないが、オブジェの仕事はいつでも見られるし、ずっと伝えられる」と、川重マリン-の花房誠取締役(60)。2020年の五輪に向け、世界中の目を引きつける。(佐伯竜一)