「見えない人が、見えるようになれば」。眼科医になりたての頃抱いた思いが、実現に一歩近づいた。人工多能性幹細胞(iPS細胞)による視細胞移植の臨床試験を申請した神戸アイセンター病院の非常勤医師、万代道子理化学研究所副プロジェクトリーダー(56)。その“石橋をたたいて渡る”慎重な研究姿勢から、周囲の信頼も厚い。
万代氏は、京都府長岡京市出身で、京阪神で育った。小学生のころは宇宙が好きで天文学者を目指し、神戸女学院中学・高校では文芸部で小説を書いたことも。京都大医学部に入学後、「細かい手術が多く、女性にも取っつきやすそう」と眼科の扉をたたいた。
京都大病院の研修医だった1989年、米国の学会で、胎児網膜の移植研究に触れた。「見えたらすごい」と強く印象に残った。しかしその後、自分が同様の研究に携わるとは夢にも思わなかった。臨床医になったが、1年で大学に戻り研究を始めた。「治らない病気がたくさんあるのに、一人の医師が診断して治療法にたどり着くのは限界がある」と思ったからだ。
長くコンビを組む高橋政代・元理研プロジェクトリーダーに声を掛けられたのは、米国の研究所で客員研究員をしていた時だった。以来研さんを積み、今では高橋氏のグループで中心的な役割を担うようになった。
2004年ごろ、視細胞移植に向けた研究を始めた。当初は胚性幹細胞(ES細胞)の活用を想定していたが、移植に十分な量が確保できない時期が続いた。12年ごろにはiPS細胞も使い始めた。思うような結果が出ず、気持ちが折れそうになったこともあった。
最も苦労したのは、移植したiPS細胞など由来の視細胞が、動物の元々の細胞と情報伝達構造(シナプス)を作っていると証明すること。光に反応しているのは分かっても、それが本当に移植した細胞による反応か分からなかった。あらゆる別の可能性を消すのに時間をかけ、安全性も慎重に検討。高橋氏が「もういいだろう」と言っても確認をやめなかったという。
研究開始から15年、ようやく臨床試験の申請に至った。「でも再生医療はまだまだこれから」。夢は大きく、一歩一歩は慎重に。失明からの視覚回復へ、挑戦は続く。(霍見真一郎)