R-1決勝ネタ「ツチノコ発見者の一生」を演じる青山知弘さん=大阪市西区、楽屋A
R-1決勝ネタ「ツチノコ発見者の一生」を演じる青山知弘さん=大阪市西区、楽屋A

■アマ初「どくさいスイッチ企画」

 ひとり芸(ピン芸)の頂点を決める「R-1グランプリ」。その決勝の舞台に今年、アマチュアで初めて立った男性がいる。「どくさいスイッチ企画」こと青山知弘さん(36)は、神戸市垂水区出身の元サラリーマン。人生を変えた一夜から3カ月。青山さんは勤めていた企業を退職し、東京へと活動の場を移した。(井沢泰斗)

■青山知弘さん、サラリーマン辞め東京へ

 川崎市で生まれ、親の転勤のため小学5年で神戸に移り住んだ青山さん。生徒会役員になった中学3年のとき、文化祭で初めて演劇の台本を任された。「周りに『今年は面白かった』って褒められて、それがすごくうれしかったんです」

 進学した長田高校では廃部寸前の演劇部に入り、脚本や演技の基礎を培った。クラスのレクリエーションで、漫才を披露したこともあったという。

 大学でも当然お笑いをやるつもりだったが、合格した大阪大にはお笑いサークルがなかった。仕方なく落語研究会(落研)に入ると、これが意外にハマった。4年時には、落研の全国大会「策伝大賞」で優勝を果たす。

 「落語家も考えたんですけど、既に内定をもらっていたので」。頂点を競った仲間がはなし家の道に進む中、悩みながら一般企業への就職を選んだ。

 ただ、プライベートで落語は続けた。2013年には「社会人落語日本一決定戦」で優勝。コントでもR-1に4度出場したが、1~2回戦での敗退が続き、14年を最後に諦めた。

 転機は新型コロナウイルス禍。客層に多い高齢者への感染を防ぐため、寄席を開きにくくなった。そこで新たな活動の場としたのが、アマチュア芸人が集まるライブだ。仕事の傍らネタづくりに励み、20年秋から月2~3回は大阪のライブに出演するようになった。

 「自分には趣味がお笑いしかない。人前に出ないとだめだ、という焦りがあった」と明かす。

 舞台でネタを磨いた成果はすぐに出た。R-1に再挑戦した22年、翌23年と連続で準々決勝に進出した。

 一方、ある葛藤が青山さんの中に生まれていたという。「自分は仕事ができない会社員。大事な場面で大きなミスをすることもあった。でも、お笑いではどんどん実績が積み上がっていくんですよね」

 仕事に自信が持てない自分と、お笑いで結果を出す自分。そのギャップが大きくなり、生き方を見つめ直す中での決勝進出だった。

     ◇

 「あー! ツチノコだあー!」。3月、きらびやかな決勝の舞台に、黒スーツに青ネクタイで絶叫する青山さんの姿があった。

 披露したのは、幻の生き物を発見してしまったサラリーマンの生涯を描くネタ「ツチノコ発見者の一生」。「憧れ」という審査員のバカリズムさんから「前半は面白かった」とのコメントを引き出し、アマチュアながら堂々の4位という結果を残した。

 中学3年で笑いを取る喜びに目覚めてから、約20年。「今まで1人でやってきたお笑いが、一つの形になった瞬間でした」と夢の舞台を振り返る。

 ピン芸人として最高峰の舞台に立った青山さんは、退職を決意する。「これまでは趣味としてやってきた。でも1回、本腰を入れて取り組んでみたい」

 大手事務所のライブが中心の大阪に比べ、東京はフリーの芸人に門戸を開いてくれるライブが多い。思い切って妻に相談すると、「ついていくよ」と受け入れてくれた。5月中旬、長年暮らした関西を旅立った。

 もちろん、30代半ばから芸人として食べていくのは難しい。まずはお笑いと両立できる働き方を模索する。「とにかくライブに出て知名度を上げる。(脚本の)書き手としてもやってみたい」