追悼施設「祈りの杜」では、日が暮れた後も献花の列が続いた=25日午後6時24分、尼崎市久々知3(撮影・丸山桃奈)
追悼施設「祈りの杜」では、日が暮れた後も献花の列が続いた=25日午後6時24分、尼崎市久々知3(撮影・丸山桃奈)

 乗客106人と運転士が死亡した尼崎JR脱線事故は25日、発生から21年となった。現場に整備された追悼施設「祈りの杜」(尼崎市久々知3)では追悼慰霊式が営まれ、オンライン中継の会場を含め、遺族や負傷者、JR西日本の関係者ら360人が参列。午後から一般献花も行われ、夜まで祈りが続いた。

 祈りの杜は、快速電車が衝突したマンション周辺でJR西が2018年に整備した。アーチ状の屋根に覆われ、衝突の跡が残る壁などが保存されている。

 25日は早朝から現場に関係者らが集まり、線路近くで花を手向ける人もいた。事故が発生した午前9時18分の少し前、現場近くを快速電車が時速25キロ以下に速度を落として通過。周囲では手を合わせ、頭を下げる人たちの姿が見られた。

 一般非公開で営まれた式典で、JR西の倉坂昇治社長は「(乗客の)命を預かる企業としての責任を果たしていなかった」と反省し、社員の世代交代が進んでいる中で「事故を経験した世代が次の世代へ、しっかり語り継ぐ」と誓った。参列者は順に献花し、会場の様子は尼崎市内の別会場でもオンライン中継された。

 昨年12月には、JR西が事故車両の保存施設を大阪府吹田市に整備した。脱線して大破した車両(全7両)の現物や犠牲者の遺品などが地上1階、地下1階に収められ、現場の一部も実寸大で再現されている。

 同施設は一般非公開で、JR西は今年3月末までに犠牲者の約4割の遺族と、負傷者の約1割に内部を案内した。今は訪れる気持ちになれない遺族らもいる。

 一方、事故後に入社した社員が全体の約7割に上ることから、世代を超えて事故の事実や悲惨さを継承する場としても位置付ける。1月から社員約4万人が順に訪れる研修を始めた。

 脱線事故後も、安全を脅かす事態が起きている。今年2月には川西市の宝塚線踏切で、遮断機や警報機が作動しないまま電車6本が通過するトラブルが発生。17年には新幹線の台車に亀裂が入り、乗務員が異常に気付きながら運行を続けた問題もあった。鉄道の安全に向けた取り組みは途上にある。(岩崎昂志)

 【尼崎JR脱線事故】 2005年4月25日午前9時18分ごろ、尼崎市のJR宝塚線塚口-尼崎間で、7両編成の快速電車がカーブで制限速度を超えて脱線し、沿線のマンションに衝突した。乗客106人と運転士が死亡し、493人が重軽傷(神戸地検調べ)を負った。JR西日本の山崎正夫元社長が業務上過失致死傷罪で在宅起訴され、井手正敬元会長ら歴代3社長も同罪で強制起訴されたが、いずれも無罪判決が確定した。事故現場周辺には18年に「祈りの杜(もり)」が整備され、25年12月には事故車両の保存施設が大阪府吹田市に完成した。