日本のピーナツバターの発祥地は兵庫県丹波市の柏原-。1920年代、キリスト教の伝道とともに製法と製造機械が持ち込まれ、信徒の生活の糧になった。後に日本で広く製品化したのがジャム類などの食品大手「ソントンホールディングス」(東京)。地元でもあまり知られていないが、ソントン設立のルーツが実は柏原にあり、当時地元で使われた古い製造機械が今も民家に眠っている。(那谷享平)
ピーナツバターは落花生の種子で作るペースト。日本に製法を持ち込んだとされるのは、米国のキリスト教宣教師、ジェシー・ブラックバーン・ソーントン(1875~1958年)。柏原町を拠点に氷上郡で1919~26年、宣教に努めた。
柏原町史などによると、ソーントンは現在の丹波市柏原町柏原にあった藩校に義塾を開き、青少年の指導や病人の慰問、困窮者の救済に尽力した。ピーナツバターの製造と販売は、義塾生の自活や栄養改善のために始めたという。「全国的に販売し、教勢頗(すこぶ)る振った」と町史に書かれている。
そのソーントンの教えに感化され、製法を教わった信徒の一人に、ソントン創業者がいた。
社史「ソントンの歩み」によると、創業者の石川郁二郎は京都府宮津市出身。1909年、18歳の時に大阪で洗礼を受けた。何度かソーントンの説経を聞く機会があり、柏原でピーナツバターを製造する様子も見た。
「聖書研究と伝道と労働が一体となって、真剣にこれに取り組んでいる塾生の姿に感動した」と社史にある。自身もいつか製造をやってみたいと願い出ると、ソーントンは喜んで「ピーナットバターにソーントンの名前を使用することを承知」したとも。
郁二郎は、帰国したソーントンの技術を引き継いだ柏原の教会から機械を譲り受け、42年に製造に着手。同社の沿革は、この年が創業年としている。48年に東京で会社を立て、50年に社名を「ソントン工業株式会社」に改めた。
その後、ソントンは食品大手の企業に成長。一方で、柏原では教会が地域に根付いたものの、ピーナツバターの製法は失われ、この地が国内製造のルーツだったことを知る人は少ない。現在、柏原にある民家には「磨砕機」「剥皮機」「焙煎(ばいせん)機」などが残るが、住人の家族は「使い方はもう分からない」と話す。動力の電動機には昭和24年(1949年)の文字が刻まれていた。
























