阪神・淡路大震災は発生から30年目に入った。17日午前5時46分、神戸・東遊園地など各地に設けられた追悼の場で多くの人が祈りをささげた。長い年月とともに集う人やそのかたちは変わっても、被災地に託されたさまざまな思いを心に刻む場であることに変わりはない。
同じ時、頻発する余震と寒さで眠れぬ夜を過ごす人たちがいる。元日に発生した能登半島地震はいまだ被害の全容が見えず、劣悪な避難生活を送る被災者に十分な支援が届いていない。29年前の惨状を再現したような光景に、被災者支援と教訓の発信に取り組んできた兵庫の関係者の衝撃は大きい。
今苦しんでいる人を救うために何ができるのか。能登の苦境を自分ごととして考えることから震災30年目の歩みを始めたい。
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阪神・淡路が起きた1995年は「ボランティア元年」と呼ばれる。全国から約138万人が駆けつけたとされ、多くの被災者の避難生活を支えた。その後の市民活動の基盤となる特定非営利活動促進法(NPO法)の成立にもつながった。
■ボランティアは今
今回、被害が集中する石川県は個人のボランティアに来訪を控えるよう呼びかけている。地震活動が続いており、来訪者の二次被害の懸念、被災地へ向かう限られた道路が渋滞し緊急車両の通行を妨げかねない、などが理由だ。
県は被災自治体に問い合わせが殺到しないよう、活動を希望するボランティアが事前登録できる特設サイトを設け、態勢が整った自治体から順に受け入れを始めるという。
だが、被災地で役に立ちたいと思う人の流れを制限する対応の弊害も既に起きている。道路網の寸断で集落が孤立するなどで被害の全容把握が遅れている。集まった支援物資を整理し分配する人手も、避難所運営のノウハウも不足している。
「こんな時こそ自律したボランティアが力を発揮する」と阪神・淡路をきっかけに発足した被災地NGO恊働センター(神戸市兵庫区)の村井雅清顧問。今回も発生翌日以降、交流のある地域や知人を訪ねて七尾市と珠洲(すず)市に入り、食料などを届けた。同センターは交代でスタッフの派遣を続ける。
村井さんは「現場に行き、顔を見て話を聞き、何が必要かを感じとるのが支援の原点。経験豊富な団体と多様な個人による多彩な活動が制度の隙間を埋め、一人一人を救うことにつながる」と指摘する。
国や県は道路の復旧状況や危険箇所といったきめ細かい情報をタイムリーに提供し、ボランティア活動を後押しする必要がある。
■阪神・淡路の責任
神戸市長田区の復興状況を専門家とともに巡る「こうべあいウォーク」は26回を数え、県内外から約120人が参加した。大阪府豊中市の女性は「能登の地震で、神戸が今どうなっているか気になった。現場を歩き復興の長い道のりを実感した」。
歩けば見えてくる。元の家並みを生かした再建を目指した地域、住民が公園や菜園として活用しながら維持管理する防災空地、再開発事業との共存に奮闘する商店街。今なお、失われたコミュニティーの再生と市民主体のまちづくりは途上にある。
阪神・淡路の歩みと能登の課題は表裏一体だ。しかも高齢化と過疎の加速は阪神・淡路の比ではなく、地域社会の担い手不足が懸念される。能登の再生も長期戦が見込まれる。
全国の被災地でフィールドワークを続ける防災学者、室崎益輝(よしてる)・神戸大名誉教授は「次世代に支援の大切さを伝え、ボランティアの裾野を広げる必要がある。それも阪神・淡路の被災地責任だ」と訴える。
現地に行けなくても、支援団体への寄付で活動を支えることはできる。ボランティア経験のある学生なら被災地の学生とオンラインで知恵を出し合うのもいい。個人の生活再建の過程で市民の力を必要とする場面は必ず訪れる。その時に備え、能登の暮らしに心を寄せ続けていよう。
























