投稿コーナー「私も生きヘタ?」
「大人の発達障害」についてNPO法人代表の広野ゆいさん(50)に聞きました
2月のテーマは「大人の発達障害」です。芦屋市の広野ゆいさん(50)は、子どものころから生きづらさを抱え、31歳で注意欠陥多動性障害(ADHD)と診断されました。就職でのつまずきや結婚・離婚などを経て、NPO法人「発達障害をもつ大人の会」(大阪市)代表やキャリアカウンセラーとして活動する広野さんに話を聞きました。
-子ども時代は?
「他の人は、何かをやりながら、それ以前のことを考えて、さらに先のことも考えているかもしれませんが、私には『今』しかありませんでした。常に今。だから次のことが入ってくると、それまでのことがなくなってしまう。忘れ物や物をなくすことが多く、宿題もよく忘れていました。遅刻も多かったですね」
-ほかには。
「見えた物や聞こえた物の刺激に、自分がコントロールされてしまいます。『あれは何?』と思うと、見に行っちゃう衝動を抑えられません。また、感覚が過敏で、水の刺激がつらく、お風呂に入るのはストレスです。食べることも、とても疲れます」
-大学卒業後、病院の秘書の仕事に就きましたね。
「先々を見越すとか、状況を見て臨機応変にとか、全てが苦手でした。『ごみ箱がいっぱいになってるね』など遠回しの指示にも戸惑いました。うつ状態になり、1年で退職しました」
「結婚して子どもが生まれ、専業主婦になりましたが、やることがいっぱいあって、あれもやらなきゃ、これも…で、途中のものがいっぱいになり、どうしていいか分からない毎日でした。夫には『なんだよ、この家は』などと言われ、きつかったです」
-障害と気づいたのは?
「2000年に『片づけられない女たち』という本が出版され、これだと思いました。北海道や東京の自助グループまで出かけ、同じように苦しんでいる人がいることを知りました。それまでは『自分だけが生きていてはいけないのに生きている』と考えていましたが、ホッとしました。その後、関西で自助グループを立ち上げました」
-今は?
「発達障害と分かった当初は、頑張って『普通の人』に近づこうとしました。でもしんどくて、全然幸せじゃなく、これは違うぞ、と。それで、普通の人になるのはやめました。家事とかできないことは、やらないか、助けてもらおう。できることで、みんなの役に立とうと考え、NPO法人や相談員の仕事、講演活動に取り組んでいます。ありのままの方が元気になれます」
(聞き手・中島摩子)