生きるのヘタ会?×神戸新聞

投稿コーナー「私も生きヘタ?」

「アルコール依存症」について明石市の主婦テルさんに聞きました

 6月の生きづらさのテーマは、患者数が全国に100万人以上といわれる「アルコール依存症」です。明石市の主婦テルさん(61)は3人の子育てに追われていた40代後半、大量に飲酒するようになったそうです。PTA活動のストレスや、「人に好かれなければ」というプレッシャーもあったというテルさんが体験を話してくれました。

 -依存症の診断はいつ?

 「13年ほど前です。お正月の夜、ものすごい目まいに襲われました。当時の自分は命よりもお酒が大切。家事をするにも、銀行や市役所に行くにも、まずはお酒を飲まないと何もできない状態でした。クリニックで肝硬変の一歩手前と言われ、治療が始まりました」

 -きっかけは?

 「私はずっと主婦で、夫の転勤に伴って関東や九州、東北など各地で暮らしながら、子ども3人を持久走のように育ててきました。宮城県の小学校でPTA会長をしていた時、晩ご飯を作りながら、缶酎ハイに手が伸びました。これを飲んだらスーッとする気がして、プシュッと開けたら、本当に頭から足の先まで、嫌なこと、悲しいことが抜けた気がしました」

 「昔、母から飲酒を責められた父が『これはお父さんの薬』と言っていた言葉がよみがえりました。私の薬に思えて、酎ハイがビールになり、焼酎はお湯割りしていたのがラッパ飲みするようになりました」

 -嫌なこととは?

 「私は母から『女の人はニコニコして、好かれるようにしなさい』と言われて育ったので、明るくして、笑って、ずっと頑張ってきました。みんながハッピーじゃないと、自分のせいだと思う性格で、ピエロみたいなお面を付けて生きてきたと思います。そうしてPTAの役員も頑張って引き受けていましたが、会長の時、会議でほかの人から理路整然と指摘されるのが責められているとしか思えず、突然泣き出したりして…。酎ハイに手が伸びたのはその頃です。3歳差の子どものダブル受験や引っ越しもあり、大変になるとその分酒量が増えました」

 -治療を始めてからは?

 「断酒会で仲間と出会い、今まで再飲酒することなくきています。主治医に、低空飛行を目指しなさいと言われたことがあります。無理に笑ったりしなくていい。『どうしたの?』と言われるぐらいでいい、と。いい人でいるよりも、ずいぶん生きやすくなったように思います。家族関係にも長年悩んできましたが、なんと昨年から夫が断酒会の集まりに一緒に来てくれるようになったんですよ」(聞き手・中島摩子)




 

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