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 23日の神戸マラソンに参加するランナーや応援する皆さんから、阪神・淡路大震災のエピソードを募ったところ、高砂市の男性から長文をいただきました。ランナーへの熱い思いが伝わってくる文章を紹介します。エピソードは引き続き募集中です。短くてもかまいません。神戸新聞報道部(houdou@kobe-np.co.jp)へメールでどうぞ。

      ◇

独身だった私は明石市に両親兄弟と住んでいました。5時46分、地震発生、激しい、そして長い揺れがおさまると電話が鳴った。

宮川小学校(芦屋市)同級生から電話「そっちは大丈夫?」「大丈夫、そっちは?」パニック状態で電話を切り、停電と断水で寒さと不安のなか、鉄道の寸断を懸念し、父は原付きで東灘の酒蔵会社へ出勤しました。

やがて電気が復旧してテレビから入る情報に唖然、大好きな町、遊び歩いた町が無惨な姿に変わっていた。

当時、私は宅配便会社で働いていました。道路が寸断され各営業所は倒壊していたため、全国からの荷受はストップがかかり、西宮の営業所では早朝の作業中に倒壊した営業所で男性社員が亡くなるという悲しい知らせ。しばらくの期間は神戸淡路芦屋宝塚は荷受ストップ。近隣の明石は営業所の被害がなく全国から毎日、物資が到着し、ごった返していた、皆が混乱していたあの時。鉄道が復旧し、仮設住宅が建ち、少しずつだが確実に復興していった。

19年経った現在も師走に開催され続ける、希望の光り神戸ルミナリエ。街には、震災の傷跡や当時の面影はありませんが悲しみや支援への感謝は変わることはないでしょう。

毎年参加している117ひょうごメモリアルウォーク、2010年には娘たちを連れて参加、2011年には神戸マラソンPRゼッケンを付けたランナーバージョンのはばタンが印象に残っています。その、わずか二ヶ月後に未曾有の大震災が東日本を襲うとは知らずにいました。

311、震災は人生に一度ではなくいつどこで誰にでも、何度でも起きるのだと思い知らされました東日本発生二ヶ月後、公務で、避難所支援に向かい、被災地をこの目で見て愕然としました。

派遣から帰ってきて第一回神戸マラソンのランナーズサポートに応募しました第二回、第三回は家族で沿道応援、大会テーマの感謝と友情は、あの時は、ありがとう!それが復興へ空元気を出して頑張ってる東日本が本当の元気を出す、エールになるのだと。117を忘れないひょうごだからこそ311を忘れてはいけない。独身だった私に娘が二人生まれ、甥っ子姪っ子も生まれ、阪神淡路を経験してない人が身近にも増え、神戸市内では四割を越える中、これからも忘れない事を次の世代へ伝える、それをもとに次の災害へ備える、そして他の地域のかたたちに活かしてもらうために、震災20年を、神戸マラソン応援で参加します!

前日・前々日、神戸マラソンEXPOの「あかし玉子焼ひろめ隊」ブースで被災地ランナーの力になれたらなと思います。

大会本部、ランナー、ボランティア、沿道応援、その集合体が「神戸マラソン」です。

そして、ありがとうがエールになる!!

2014/11/5
 

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