夜。子どもたちが寝静まった後、職員の大庭英樹が蒼空(そら)の寝顔を見つめていた。小学1年。あどけない顔で寝息を立てている。
「ずーっと見てしまう。ついつい頭をなでたり、ほっぺたを触ったりしてしまうんです」
53歳のベテラン。最近は涙もろい。「子どもたちが、ほんまにかわいくて。学校から帰ってくる姿を見るだけで泣いてしまう」
大庭は22年間、別の児童養護施設で働いた経験がある。いったんは他の仕事に就いたが、2011年に尼学へ。再びこの世界に戻るとは思っていなかった。
中高大とラグビーをしており、大きな声が特徴。教師を目指していたが、大学時代にボランティアをしたのがきっかけで児童養護施設の職員になった。
働き始めた当時は大舎制が主流で、狭い部屋に6~8人が雑魚寝をしていた。業界団体が「児童収容施設」と名乗っていた時代。「子どもの人権」という概念自体が薄かった。その中で目標とする指導員に出会い、「何とかこの状況を変えたい」と働いた。
現場を愛した。子どもに殴られ、体中に青あざができたこともある。「それでもやりがいを感じた」
だが、最後の数年は苦しかった。大人数が一緒に暮らす施設では、一度子どもが荒れ始めると全体に波及する。
殴られるのは当たり前だった。昼夜を問わずに対応に追われた。「今日、僕が死んで帰ったらごめんな」。妻にはそう言って家を出た。いつ刺されてもおかしくない状況だった。
しばらくして、施設を後にした。
「子どもたちを最後まで見られなかった」。自責の念は今も残る。
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