第1部 はじまりの島
サワラの流し網漁が解禁になった播磨灘。洲本市五色町の漁港からも一斉に出漁した。サワラが回遊するポイントを狙って位置についた漁船は、長さ約1.6キロの網を海へ投じる。サワラの進路を妨げるように仕掛けてじっと待つ。
生で食べるサワラは、口の中でとろけた。洲本市五色町。行事食から進化したごちそうを、ぜひご賞味あれ。

とろけるように柔らかく、ほんのりと甘い。タイよりは味が濃いけれど、トロほど脂っこくはない。
「生で食べてみて。五色のサワラのうまさは、刺し身で分かるんや」
淡路島西浦の洲本市五色町都志(つし)。食堂「お多福」の橋詰政直さん(57)が勧める。取れたてのサワラは足が早く、海が近い町ならではのごちそうだ。
銀色の皮に薄黒い斑点。身はうっすら桜色だ。バーナーで皮目をあぶれば、脂がジュッと音を立てる。のどが鳴る。白飯にのせて、とろろ、薬味と一緒にいただく。
播磨灘で4月20日、サワラの流し網漁が解禁となった。五色の漁港からも一斉に出漁した。
「知ってほしいのは『サワラ』やない。『サワラの生食』やねん」
橋詰さんが、体長1メートル弱のメスをさばきながら力を込める。

魚へんに春。サワラが島に春を告げる。
「流し網漁が始まるとな、4月や5月は『さわら会』の予約で毎日満室やった」
1892(明治25)年創業の老舗旅館「川長(かわちょう)」(洲本市五色町都志万歳)の4代目、川崎晴康さん(80)が懐かしむ。
焼き物。煮付け。酢の物。あえ物。刺し身。たたき。揚げ物。茶漬け。丼物。握り。すき焼き。しゃぶしゃぶ-。サワラのフルコースは、昭和30~40年代の春先、五色町で盛んに催された「さわら会」の定番料理だった。
会の由来は、田植えの労をねぎらう農家の行事「泥落とし」だ。田植えを終えた農家は親戚らを家に招き、もてなした。
新鮮なサワラずくめを、勤め人たちはうらやんだ。「わしらもやったらんかい」。青年団や消防団、PTAなどが何かと理由をつけては「さわら会」を開いたという。
「川長」は今も「さわら会席」をメニューに掲げる。農家で振る舞われた漬(づ)け丼や茶漬けは今、島内の他の飲食店でも楽しめる。新名物「生サワラ丼」として。

淡路島産の牛肉、タマネギ、米を使った牛丼を島中で味わえる。2008年に始まった牛丼プロジェクトは、島の豊かな食材を全国に知らしめた。11年には「生しらす丼」が発表され、気軽に立ち寄り食べられる“丼スタイル”は、観光客に大いに受けた。
そこに五色のサワラが加わる。14年、9店舗で生サワラ丼が売り出された。条件は淡路島産の「生食」を使った丼であること。刺し身だけでなく、「漬け」や軽く火を入れた「あぶり」、「たたき」もOKだ。
山かけ、カルパッチョ風…。農家のごちそうは進化した。「みそ漬けしか食べたことがない」と話す人はその甘さに驚く。島内各地に広がり、今年は29店舗に増えた。漁船の上で血抜きを済ませ、臭みをとことん消したサワラを使う店もある。
ただ、喜んでばかりもいられない。明石海峡大橋の開通は島を日帰り圏にし、宿泊客を減少させた。都志に19軒あった旅館・民宿は5軒となり、会席料理の注文も減った。
「丼は生き残り策なのかもしれんね」と川崎さん。飲食店や旅館だけじゃない。漁師も一緒に考え、動く。

日がすっかり落ち、暗くなった海から網を巻き上げる。銀色の輝きがのぞく。
「初日に顔を見られてよかった。ゼロのときも普通にあるんでね」。漁師の舟瀬定(さだむ)さん(45)が、編み目にすっぽり刺さったサワラを手で抜き取った。
播磨灘でサワラの「流し網漁」が解禁された4月20日。兵庫県内で唯一手掛ける五色町漁業協同組合の鳥飼、都志漁港から、計23隻の漁船が出漁した。くじで3班に分かれた漁師たちは午後2時、3時、4時ちょうどに港を出る。
「場所取りが全てや」「流し網はギャンブル」。漁師が口をそろえる。潮の流れに任せて網を張るだけに、一晩で100本以上かかる日も、全くかからない日もある。エンジンは最初から全開。全速力で沖を目指す。
午後6時。サワラが回遊するポイントを狙って位置に付いた漁船は、長さ約1・6キロの網を一斉に下ろし始めた。進路を遮るように仕掛けてじっと待つ。1~2時間後、網を巻き上げながら、編み目に刺さった魚を取り外す。漁は午後10時ごろまで続いた。
翌朝に水揚げされ、初日は計235本、915キロだった。福島富秋組合長(55)は「今年は順調。味もいい」と胸を張る。
県内の瀬戸内海でのサワラ漁獲量は、1987年の2378トンをピークに、98年に最少の33トンになった。その後は資源保護に取り組み、近年は200~400トンで推移する。
漁師の家では、豊漁を願いサワラの尾を軒先に張り付ける風習があった。近年は見かけないが、大漁祈願の習わしは残る。
4月2日。都志八幡神社の春祭りで2基の船神輿(ふなみこし)が町を練り歩いた。漁師の小谷正三(まさみ)さん(63)は担ぎ手を卒業したが、今年も若手に手を貸した。豊漁を祈る祭りで神輿を絶やすわけにはいかない。
漁の解禁初日。一直線に沖を目指す漁船の中、反時計回りに3周、海を旋回する船があった。元組合長の福岡武雄さん(72)だ。
「初日はちゃんと神様にごあいさつ。若い漁師はせえへんけどな」。昔はどの漁船も、五色浜に立つ恵比須神社の前を旋回してから初漁に出た。「命をいただくことに感謝し、五色のサワラ漁を守りたいんや」

帯状の網を海中に数時間仕掛け、回遊してくるサワラが編み目に刺さったところを引き上げる。昔は手作業で網を巻き上げていたが、今は直径2メートルほどの電動巻き上げ機を使う。一本釣りよりも一度に大量のサワラを取ることができるとして、洲本市五色町以外に岡山、香川などでも実施。近年は資源回復のため編み目の直径を10・6センチ以上に統一し、小型魚を保護している。