第1部 はじまりの島
江戸時代が発祥とされる伝統行事の「牛寄せ」が淡路島で続いている。かつては、農耕牛を対象としともに働く「家族」の健康と安全を祈った。やがて農業の機械化で人だけが参拝するようになったが、和牛の繁殖農家が増えたことで「健康な牛の誕生」を祈るようになった。
淡路家畜市場で毎月1回競り市が開かれる。生後250~300日程度の和牛の子牛が淡路島内から集められ、肥育農家に買われていく。

10キロのサーロインの塊に、包丁が入った。音も抵抗もなく、赤い断面が顔を見せる。外気にさらされて鮮やかさを増し、白く細かい霜降りとの対比が際立っていく。
島内で生まれた和牛の地域ブランド「淡路ビーフ」。精肉店「新谷(しんたに)」(淡路市)の新谷隆文さん(50)が、表面を覆う分厚い脂身に触れた。指紋をかたどるように、液体がにじみ出る。
体温で溶けるこの融点が、火を入れた時にとろけるような食感を生み出し、肉質のよさを増幅させるのだという。
国内外の和牛人気の高まりとともに、「ミルクの島」は「ビーフの島」に姿を変えつつある。血統と品質を守り、神戸ビーフや松阪牛といった全国ブランドの一大生産地に成長。地元市場の取引価格は近年高騰しているが、浮き沈みを知る畜産農家は口をそろえる。
「牛は、水物やから」

シャン、シャン、シャン…。
牛の鼻先で、錫杖(しゃくじょう)が甲高い音を立てる。驚いて体を揺するもの。おとなしくじっとしているもの。4月28日に覚王寺(淡路市下司(くだし))であった伝統行事「牛寄せ」だ。
発祥は古く、江戸時代とされるが、和牛に祈〓(きとう)するようになったのは15年前からと新しい。先代の住職、生柳昭巌(うやぎしょうがん)さん(86)は「農耕信仰が、時代の流れで畜産信仰に変わった」と表現する。
牛寄せは、長く農耕牛を対象としてきた。稲作の本格化を前に、人と一緒に田畑を耕し、肥料や収穫物を運ぶ「家族」の健康と安全を祈っていた。しかし、1950年代に入ると、トラクターや自動車が普及。農耕牛は徐々に姿を消し、60年代後半からは人だけが参拝するようになった。
一方で、島に牛は残った。高度成長期、一般家庭の生活が豊かになり、牛肉食が広がると、和牛の繁殖に乗り出す農家が増加。神戸ビーフなどの素牛(もとうし)の生産地として名をはせるが、2001年に起こった牛海綿状脳症(BSE)問題で価格が暴落する。翌年の牛寄せから、農家が「健康な子牛が生まれるように」と和牛を連れてくるようになった。
新しいイベントも始まった。行事が終わると、農家が境内にしちりんを並べ、別に手配しておいた牛肉に舌鼓を打つ。BSE問題による風評被害を打ち払う願いが込められた「供養」だったそうだ。
神聖な寺院で、殺生を連想させる焼き肉。15年に住職を継いだ谷内祐樹さん(25)も「『こんなん、ええんか』と、最初は驚きました」と苦笑するが、農家には貴重な懇親の場だ。ビールを手に、当時の苦労が信じられないほど高価になった肉をひたすら食べる。
その一角にいた庄田全宏(まさひろ)さん(61)が、つぶやいた。「こうやってみんなが集まるんも、いつまで続くんかなあ」
(注)〓は「示」の右に「壽」

「花とミルクとオレンジの島」
「文人知事」と親しまれた阪本勝・兵庫県知事(1954~62年在任)が提唱したとされる淡路島のキャッチコピーだ。タマネギ、牛丼、サワラ-。近年、矢継ぎ早に打ち出されるPR戦略の先駆けといえるが、その陰にうずもれつつある。
国の統計では、花と果樹の売り上げはピーク時の3分の1程度に減り、牛乳も半分以下に落ち込んだ。島内の酪農家は140戸ほどで、800戸を超える和牛の繁殖農家に大きく水をあけられている。
庄田さん一家は、このコピーの盛衰をなぞるように歩んできた。コメ農家だった父、照己さん(86)が61年に乳牛を飼い始め、20年後には40頭に拡大。牛肉の需要が高まると、BSE問題で廃業した農家から和牛を買うなどし、それぞれ20頭ずつに調整した。
「時代に合わせたりあえて逆張りしたり、結果的にうまいこと波に乗ってきとるんや」と庄田さん。3年ほど前、大病を機に乳牛を売り払い、和牛の繁殖一本に絞った。乳牛は1日2回、決まった時間に搾乳しなければならず、ふん尿は和牛の数倍出る。
体力的な負担を考慮して下したこの決断も、当たった。

「50万円からです。はい、どうぞ」。立会人のアナウンスを合図に、電光掲示板の金額が瞬く間に上がっていく。70万、80万…。100万円超えも、珍しくない。
5月18日、淡路家畜市場(淡路市塩田新島)で開かれた月1回の競り市。生後250~300日程度の和牛の子牛が島内から集められ、肥育農家に買われていく。
1頭当たりの最低価格は、50万円前後。宮崎県で発生した口蹄疫(こうていえき)に東日本大震災による風評被害が重なった2011年度は、落札額の平均が40万8902円だった。それが、16年度は86万5466円にまで跳ね上がった。
一方で、販売頭数は11年度の5932頭から、16年度は4748頭と半世紀ほど前の水準にまで下落した。世界的なブランドに成長した神戸ビーフなど和牛の人気が膨張する陰で、後継者不足による農家の減少は深刻だ。
庄田さんはこの日、雌2頭を競りに出した。「努力したさかい、報われる世界ちゃうからな。どんなに気を使っても病気になるもんはなるし、立派に育った思うても、需要がなかったら何の意味もない」。淡々と語りながら、直前まで毛並みや汚れを気にかける。
2頭合わせて約150万円で落札された。「もうちょい、(値が)いくと思うたんやけど」と苦笑い。飼育も販売価格も水物の牛を無事に育て上げ、買い手が付いた安心感が、また前を向く原動力になる。
「将来が見通せる業界やないのは分かっとる。でも、牛飼いである以上、淡路産は日本一、どこにも負けん気概で育てんとな」
(記事・小川晶、写真・大森武、大山伸一郎)

今年2月時点の畜産農家は、和牛繁殖が849戸と約83%を占め、酪農と肥育を大きく上回る。兵庫県産の黒毛和牛として認定された「但馬牛(たじまうし)」の血統を継ぐ子牛を競りに出し、県内のほか、松阪や近江など各地の肥育農家に販売。県内で生まれ、育てられた但馬牛で、肉質など一定の基準を満たす「神戸ビーフ」のうち、淡路島産が約6割を占める。島で生まれた個体を対象とした「淡路ビーフ」という地域ブランドもある。