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第1部 はじまりの島

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 淡路島といえば「タマネギ島」。とりわけ三原平野の広がる南あわじ市は島内生産の約9割を占める。5月になると各地で収穫する様子が見られる。水田の裏作になるタマネギの集団栽培は1923年から始まったとされ、1964年には生産量が全国一になった。

【8】淡路タマネギ 泉州から来た西洋野菜
亀岡八幡宮の玉葱神社。お供えはもちろんタマネギ。由来碑の台座もタマネギ形だ=南あわじ市阿万上町(撮影・大山伸一郎)
亀岡八幡宮の玉葱神社。お供えはもちろんタマネギ。由来碑の台座もタマネギ形だ=南あわじ市阿万上町(撮影・大山伸一郎)

 5月の風に乗り、ツンとした匂いが鼻をくすぐる。青く伸びた葉が地面に寝そべり、収穫の合図を送る。つやつやとした丸い頭が、畝からのぞいている。

 そう、淡路島といえば、「タマネギ島」。とりわけ三原平野の広がる兵庫県南あわじ市は、島内生産の約9割を占める。

 産地の一つ、阿万(あま)地区にある亀岡八幡宮。春祭りの見物に訪れると、境内にはなんと、「玉葱(たまねぎ)神社」が。由来碑によると、集団栽培・販売の始まった1923(大正12)年から30年目を記念し建立したという。

 タマネギは身近だけれど西洋野菜。古来「御食国(みけつくに)」と呼ばれた淡路では100年ほどの新顔なのに、存在感は絶大だ。

 碑文は続く。「普及に当たって、先進地泉州から講師を招聘(しょうへい)して栽培技術習得の講習会が重ねられた」

 …ん? 淡路タマネギのはじまりは、大阪にあり?

はじまりは神戸の「外国亭」
ごく少部数の出版だった「淡路玉葱発達誌」。1995年に復刊された(兵庫県玉葱協会蔵)
ごく少部数の出版だった「淡路玉葱発達誌」。1995年に復刊された(兵庫県玉葱協会蔵)

 バイブルというべき本がある。「淡路玉葱発達誌」。終戦の年、9月1日に発行された謄写版だ。編者は阿万町(現・南あわじ市)農業会技師の宮本芳太郎。その頌徳(しょうとく)碑が、JAあわじ島阿万支所の前にある。

 「種子も栽培法も悉(ことごと)く泉州より移入されたもの」と同書は記す。ただ一説に、泉州のタマネギのはじまりは、神戸の西洋料理店「外国亭」にあるというから面白い。

 1879(明治12)年、現在の大阪府岸和田市土生(はぶ)町で農作物試験場を営む坂口平三郎は外国亭を訪問。タマネギの味に感動する。店に持ち込んだ米国人を居留地で見つけて、譲り受けると、手探りで採種・栽培に挑戦。見事成功し、神戸で販売したという。

 その数年後、坂口を通じてタマネギを試作したのが、近在の田尻村(現・同府田尻町)の今井伊太郎。米国の品種を改良し、全国の秋まきタマネギの親とされる「泉州黄(せんしゅうき)」を生んだ“玉葱王”だ。

 淡路島では明治時代に試作の例はあるが、集団栽培は大正半ばから。泉南の淡路出身者が仲介し、麦より有利な水田の裏作として、三原郡一帯に見る見るうちに広まった。

 温暖で、雨が少なく、水はけがいい。密植など技術改良で、10アール当たりの収量は泉州をしのぎ、貯蔵性も優れた。早生(わせ)・中生(なかて)・晩生(おくて)と収穫期が長いタマネギの需要は拡大。島の海運による大量輸送で、中四国や九州に販路が広がり、神戸港から輸出された。

全国一に導いた淡路1号、2号
集団栽培の先駆け、広田地区で早生タマネギを収穫する谷口保さん。近くの広域農道は「オニオンロード」と呼ばれる=南あわじ市中条中筋
集団栽培の先駆け、広田地区で早生タマネギを収穫する谷口保さん。近くの広域農道は「オニオンロード」と呼ばれる=南あわじ市中条中筋

 「全国一になったこともありますよ」。元淡路農業技術センター次長谷口保さん(89)が胸を張る。1964(昭和39)年、作付面積は3千ヘクタール、生産量はトップになったと、農業公園「淡路ファームパーク・イングランドの丘」正面にある「玉葱の里」記念碑は誇らしげに記す。その地位は、北海道産が減反政策で飛躍的に増えるまでの数年続いた。

 「淡路1号、2号によるものですね」

 谷口さんが農業試験場淡路試験地に入った50年、和歌山に委託していた種子が高騰し、淡路での採種と品種改良に取り組んだ。篤農家斉藤幸一さんと農業改良普及員西川真二さんの協力で、丸く、大きい母球を選抜。採種・栽培を繰り返し、57年、収穫期を分散させた斉藤1号と10号を育成した。

 「普及したもんで、2人が名を付けてくれというてきて」。61年に淡路中甲高(ちゅうこうだか)黄1号、2号と改められた。

 名実ともに淡路タマネギとなり今に至る…と思いきや、谷口さんは首を振る。

 「種は全国的に香川が多いです」。では、淡路1号、2号は? 「だいたい昭和40年代まで。今はF1種(一代雑種)です」

 採種は七宝(しっぽう)玉葱採種組合(香川県三豊市)に委託していたが、品質管理のため母球の親(原々種)は試験場で栽培した。それも作業負担から七宝に任せることになり、やがて、晩生の「もみじ」、中生の「ターザン」など七宝の育成したF1が、淡路にも普及することになった。

 農業技術センターができた81年、谷口さんはガラス室を二つ設けた。「淡路独自の品種を残すべきと、望みを捨て切れんかった」。しかし、交配に人手が掛かり、中断。「あれは私の大失敗」と手放したことを惜しむ。

堆肥を入れた土づくり
大鳴門橋開通の1985年、「くにうみの祭典」会場として淡路ファームパークが開業。「玉葱の里」記念碑は、試作から約100年を祝って建てられた=南あわじ市八木養宜上
大鳴門橋開通の1985年、「くにうみの祭典」会場として淡路ファームパークが開業。「玉葱の里」記念碑は、試作から約100年を祝って建てられた=南あわじ市八木養宜上

 淡路が9割以上を占める兵庫産タマネギ。全国2位の座を守ってきたが、農林水産統計によると99年に佐賀と逆転、差が広がる。

 「佐賀に教えなんだらよかったと思った時期もあった」。冗談めかして谷口さんは言う。「作り方は全く同じです」

 昭和30年代半ば、「淡路の技術を導入したい」という佐賀の技術員に、植え付けの機械を持ち帰らせた。品種も、タマネギ小屋も、防除法も淡路から伝えられたのだという。

 佐賀の産地、白石地区は有明海の干拓地。「機械化が進んで、作付面積が広がった」とJAさが白石地区中央支所の坂井明博総合部長(58)。一方の淡路では、高齢化などで重量野菜からレタスへ切り替わったこともある。「ただ、淡路のタマネギは品質も収量も高い。とても追いついたとは思ってません」

 甘く、柔らかいと人気の淡路タマネギ。「種も作り方も同じなら、よそとそんなに違うはずはない」と谷口さんは冷静に見るが、淡路ブランドは絶大だ。考えられるのは、「花とミルクとオレンジの島」と呼ばれた酪農の風土である。

 「堆肥を入れた土づくりは佐賀にない特色やね。なんや分からんけど、総合的なもんというのが私の考えです」

 味に秘密あり。淡路タマネギに歴史あり。むいてもむいても、果てがない。(記事・田中 真治、写真・大山伸一郎)

【淡路島のタマネギ】
神戸新聞NEXT
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 2016年は作付面積1501ヘクタール、生産量はべと病の影響で前年比約2割減の7万1958トン(兵庫県玉葱協会まとめ)。1985年をピークに約3千ヘクタールで推移していた面積は、2000年に2千ヘクタールを割り込んだ。生産量も06年以降は10万トンを下回り、12年度から「10万トン復活大作戦」として機械化一貫体系の促進や担い手育成を進めるが、現在は農産物全体の底上げに目標を切り替えた。

 

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